2ペンスの希望

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「映画に似ること」似て非なるもの

ちょっとしたことで、1985年1986年のPFF(ぴあフィルムフェスティバル)の選評を読んだ。30年近く前、自主映画といえば8mm映画だった。若手の登竜門としてその後、毀誉褒貶・功罪が言われるPFFだが、審査員は当時すでに安直な粗製濫造に苦言を呈していた。
幾つか挙げてみる。
ほしのあきら「ストーリーや言葉に苦労せずイメージが充分に練られていない映画はもう見たくない。シャッターを押すことに畏敬の念を抱かない作品の増加‥‥映画と楽に付き合えると同じだけ別の難しいものが立ち現れてくることに気付け
かわなかのぶひろ頭で描いた物語りを、肉眼で見るように綴った作品が、やはり圧倒的に多かった。ほどほどの虚構を小手先でひねったところで、それらはおおむね既成の映画を超えることはできない。映画に似ることが目的であるならばそれもよいだろう。けれども人生において、他人に似るために生きるという生き方などありはしないように、8ミリもまた自分自身であってほしかった。
審査員先生方の実作がどの程度だったかは置くとして、
先達としてのいらだちは伝わってくる。
四半世紀後の今、事態は「映画に似ること」似て非なるものの大氾濫。