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PFF 大島渚賞 「映画という制度に対する問題提起」

2020年にPFF主催で始まった「大島渚賞」。審査委員長は坂本龍一、審査員は黒沢清PFFの荒木啓子の計三人。「原則として前年に発表された作品があり、日本で活躍する映画監督(劇場公開作3本程度)」を対象に「毎年、国内外の日本映画に造詣の深い映画祭ディレクターやプログラマー、映画ジャーナリストなど、多様な国、年齢、キャリアの映画人からの推薦により、候補5監督を選出。その中から審査員が授賞者1名を決定する。」という審査方法のようだ。(PFF公式HPより)

2020年の第一回は、下選出された候補5監督ではなく、坂本龍一自らが推薦した小田香監督『セノーテ』が受賞。

第二回は「該当者なし」

第三回は、もう一人の審査員黒沢清が推した監督に決定。ただし受賞式には坂本は参加せず、メッセージを寄せている。そのメッセージがコレ。

毎回候補にあがる作品の質が低いことに忸怩たる思いを抱えています。映画は社会を反映しているとすれば、最近の日本映画の大きな傾向として他者を傷つけることを極度に恐れることがあると感じます。それは社会への問題提起、批判、問いを萎縮させます。矛盾や不条理があっても明確に反対することができません。なぜなら反対の声を上げれば必然的に異なる意見をもつ他者とのぶつかり合いが起こるからです。これは僕が思う開放的で民主的な社会の在り方とは正反対です。恐らく大島監督も僕の意見に賛成してくれるでしょう。テレビ番組で「バカヤロ~」と怒鳴っていた方ですから。

ぼくたちが考える大島渚賞たる要件は2つです。一つは社会の不条理への問い、批判があること、そして二つ目は映画という制度に対する問題提起、批判、新しい視点があることです。なかなかハードルは高いと思いますが「大島渚」の名前を冠する賞ですから、当然そうあるべきだと思います。

今回、残念ながら僕には大島渚賞にふさわしいと思える作品はありませんでしたが、幸いなことに黒沢清さんには一つの作品がありました。審査員団として意見を一致させるべきかどうか議論しましたが、審査員が異なる意見を持つことは自然ですし、審査員団と言っても二人だけですから、黒沢さんの意見に明確に反対するのでなければ異なる意見は受け入れるべきだと判断しました。このような審査のあり方があってもいいのではないでしょうか。

 今後は候補作の収集方法も含めてより大島賞にふさわしいと思える作品が集まるように改善していきます。

 来年以降これこそ大島渚賞にふさわしいと思える作品に出会えることを大いに期待しております。

代読する荒木啓子さん



う~ん、奥歯にものが挟まっているようでもあり、どこかもどかしい。

もはや、小手先の延命策ではらちが明かない。重症患者は救えない。

日本の映画状況は、これまでの歴史・作法・蓄積の総体をリセットし、ラジカルに「映画という制度=企画制作配給(配信)公開回収までの全工程を一気通貫・一元的に見直す・組み立て直すところまで来ているのかも。

前途多難。波高し。