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『f/22 No.3』山上徹二郎「カネの話」

作り手が発信するドキュメンタリー批評雑誌『f/22』第三号を読んだ。【2021.7.15. F/22製作委員会 発行 創刊号は2019.2.1.、第二号は2019.11.1.】特集記事は「さあ、カネの話をしよう!」

あまり採り上げられることが少ないお金の話。ドキュメンタリー制作の台所事情・懐具合。民放テレビ番組CP、制作会社、独立プロ、韓国映画界などのインタビューが並ぶ。

山上徹二郎さんは、1954年生まれ。1970年代初め高校生の頃から土本典昭水俣シリーズ」の青林舎に関わり、1986年有限会社シグロを立ち上げ引き継いだ。以来35年余りに80本の映画を制作した。東プロ・青林舎時代の13本と合わせるとほぼ100本。今も数億円のマイナス、未払い・借財を背負う。「自分の中で定年っていうのは、未払いとか負債がゼロになった時だと思ってる。」と身につまされる話が載っているが、若い作り手には関係ないので割愛。元気の出る話だけを少々。

お金がないからやらないっていう決断をしていたら、僕には映画はできなかったと思う。やりたいことがあったら、やったほうがいいと思う。誤解を恐れず言えば、お金の問題はちょっと後で考えてもいいと思う。まずやりたいことを決めるべきだと思う」。お金はないけどそれでもやりたいんだっていうのは、すごい大事なことだと思う。そうしなかったら何事も始められないし、始まらない。お金ができたらやりますとか、お金を貯めてからやるって言ったところで映画ができたためしはほとんだないと思うけど。

ドキュメンタリーだから貧乏でもいいと言いたいんじゃなくて、やっぱり人間を撮るかぎりにおいて人に迷惑かけないでは成立しないからね。映画っていうのは、お金のことはその迷惑の中の一つでしかない。被写体に対する責任だったり、観客に対する責任だったり、もっといろんなことがある。被写体に対しての責任の取り方っていうのは、お金の問題以上に大変だからね。その人の一生を決めることだってあるわけだから。映画に撮られたことによって、その人の人生が変わるからね。変えてしまう力を持つわけだから。そういうことも含めて、迷惑をかけたりしながら人との関わりの中でしか映画は成立しないし、とりわけドキュメンタリーはそのことがはっきりと出てしまう。人と関わりたくなかったら、やっぱりドキュメンタリーは出来ないと思う。人と関わるということは、もちろんお金のことも含めて、経済も含めて関わるということだから。できることから始めますというんじゃなくて、〝やっちゃえ!〟という思い切りしかないよね。(註:太字強調は引用者)

古臭いと嗤われるかもしれない。けど、同じような時代を生きてきた管理人にはよくわかる。お金はあとから付いてくる。覚悟と責任。大事なのはこの二つを忘れないことだろう。

雑誌『f/22』の編集長は、満若勇咲さん。1986年生まれ、共働きの妻と二歳児の子を持ち、自身TVドキュメンタリーの撮影や演出を生業としながら、ドキュメンタリー映画を劇場公開する若い作り手だ。

テレビ業界、映画業界の現状に対する不満、ドキュメンタリーの作り手に求められる倫理性や加害性自覚、労働環境改善に向けた「言論の場」づくりを目指しての発刊。消費サイクルの短いWeb.SNSではなく、お金も手間暇もかかる「紙メディア」雑誌による刊行=敢行。三号までは読んだ。息の長い継続を期待する。