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『嫌われた監督』:船

続けて、鈴木忠平『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか 』からもう一つ。

「オレ流」という言葉が独り歩きし、毀誉褒貶相半ば、変人とか異端児とも云われる落合博満の光と影のドキュメント。スコブル面白い本だった。

競技スポーツとしてのプロ野球、興行ビジネスとしてのプロ野球。個人と組織、ロマンと現実、、‥‥、グラウンドの奥(ベンチや ブルペンや ロッカールームや スタンドや プレスシートや ‥‥その他 ありとあらゆる場所や場面‥)で繰り広げられる緻密で高度な駆け引き、計算と技能の計り知れない蓄積と研鑽が、臨場感あるタッチで語られて飽きない。引いてみたいエピソードは幾つもある。中でもピカイチがコレ。

「帯」のコピーも どうぞ

2007年の日本シリーズ第5戦。ナゴヤドーム日本ハム。球界大記録目前の投手を降板させた落合監督の采配。非難や批判が殺到し、落合=冷徹非情というイメージが固まった。野球ファンにはつとに知られたエピソードだ。(ちなみに 前人未踏の大記録=日本シリーズ完全試合を逃したには山井大介投手、九回表 マウンドに立ったにはクローザー岩瀬仁紀投手 Wikiに詳しい記述がある  ⇓  )

2007年日本シリーズにおける完全試合目前の継投 - Wikipedia

監督の手記記事取材のため、待ち構えていた鈴木忠平記者のインタビューに答えた落合博満監督の言葉。

監督っていうのはな、選手もスタッフもその家族も、全員が乗っている船を目指す港に到着させなけりゃならないんだ。誰か一人のために、その船を沈めるわけにはいかないんだ。そう言えば、わかるだろ?

  *  *  *

わかるわかる、その通りだ。指揮官の覚悟と責任。

  *  *  *

映画の世界ではどうだろうか。映画の監督も船長、けど、映画のプロデューサーは乗船はしない。陸に居て、船が港に届くことだけを見守り続ける。嵐があろうが、海賊に襲われようが、無事目的の港につけるのが仕事だ。そのためには、船に乗っていてはいけない。時には 船長の交代だってアリだ。

映画監督は乗組員代表・船長・棟梁・現場監督ではあるが、総責任は船会社・建設会社が担う、それが当たり前、普通のことだ。

  *  *  *

上記の落合発言:「監督」を「プロデューサー:総責任者」に、「誰か一人」を「(映画)監督」に置き換え、ちょっとズラして読み直してもらいたい。

さらに言うなら、映画の〈著作権〉は、監督だけのものじゃなく、スタッフキャスト全員にあるものだし、職業監督はどこまでいっても雇われ監督である。とするなら、〈財産権〉はプロデューサーが負うのが適当だろう。どうですかな、日本映画監督協会 さん。