2ペンスの希望

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今昔四 協業

野球が落ち目のようだ。日本プロ野球の観客動員が減っている。
若い世代では、野球よりサッカーの人気が高い、今の小学生は野球への興味を失っている、もはや時代劇のような扱いになっているという声も聞く。
突然だが「野球は二十世紀型のスポーツだったのではないか」そんな考えが浮かんだ。二十世紀はすぐれて「分業」の時代だった。いうまでもなく野球は「分業」のスポーツだ。それぞれのポジションが分業体制で技を磨き競う。さらにポジション毎での分業も進んだ。例えば投手。かつては先発完投が当たり前だった。(ピンチに陥ればリリーフ=救援が引き継ぐこともあったが‥あくまで急場の救援ということだったと記憶する)今では先発、中継ぎ、クローザーに分かれる。ワンポイントリリーフ、ロングリリーフ、セットアッパー、加えて敗戦処理投手まで備える。攻めと守りも截然と分かれる。
その点サッカーは違う。ポジションはあるが、局面に応じてフォーメーションは変わる。攻撃と防御は瞬時に変幻する。ひと時も目が離せない。そこが魅力だとファンは云う。
今は昔。野球のような分業体制ではなく、サッカーのようにマルチプル・プレイで映画が作れないか。そんなことを妄想した。その昔キャメラマンは監督の女房役といった比喩が通用した時代があった。監督を頂点に据えるピラミッド型のスタッフワークではない形を創出できないだろうか。
ほんの思いつきなので、具体的なイメージも成算もあるわけではない。例えば、志を同じくするものが共同で台本を練り鍛え、それぞれの得意分野で周到な準備を重ねながら、撮影現場にあっては、最強最高のシフトプレイをやってのける、出来上がってからも公開上映回収までをともに担う、そんなチームが組めないか、ということだ。
分業の世紀から、協業の世紀へ。
もっとも、分業を嫌いすべてを自分でまかなう自己完結・個人映画作家という道は昔からあった。ただ、拙はこの道は採らない。映画は一人で作るものではない、という(信仰に近い)思いがあるからだ。
映画を作りたいのではなく、映画を作る人になりたいだけの人にもこの「協業」とても出来ない相談だろう。
さらに厄介なハードルがもうひとつ、
作り方がどうあれ、出来た映画に力がなければお話にも何もならない。これは云わずもがな、自明のことだ。とすれば、このサッカー型の映画制作、モットモット考えて見なければならないだろう。その値打ち、ありそうな予感もするのだが‥乞う、お知恵拝借。