2ペンスの希望

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映画は映画である

映画は映画である。云うまでもない、JLGの映画『女は女である』のもじりだ。
映画を映画として評価・吟味しようということである。言い換えれば、映画を題材やテーマ、主義主張でかさ上げして評価するのを止めることだ。社会にとって人類にとっていかに重要な主題・メッセージが盛り込まれていても、それが映画として面白くなければ、ハッキリ面白くないというべきなのだ。映画の中身とは、映画に映され展開されたもの以外ではない、そう考えたほうがスッキリする。
分りやすくするために、故ナンシー関さんの言葉を引く。
『顔面至上主義』は、『人間は顔面』をモットーに、人を顔面だけで判断していいんじゃないか、という主義である。
『人間は中味だ』とか『人は見かけによらない』というなかば正論化された常套句‥‥いい人だからどうだというのだ。テレビに映った時につまらなければ、それは『つまらない』である。何故、見せている以外のところまで推し量って同情してやらなければいけないのだ。
そこで私(引用者註:ナンシー)は『顔面至上主義』を謳う。見えるものしか見ない。しかし、目を皿のようにして見る。そして見破る。それが『顔面至上主義』なのだ

    【雑誌『噂の真相』1993年4月号 同タイトルでの連載コラムスタート時に】
NDS(中崎町ドキュメンタリースペース)に拠る若い映画人・佐藤零郎さんもこう記す。
表面にはすべてが映っている。
カメラは対象の表面を滑っているようでいて、その映像の波は、どこまで行っても
平面の映画の世界の中で、観る者を深い海底へと連れて行ってくれる

【伝説の映画集団NDUと布川徹郎 第4回神戸ドキュメンタリー映画祭によせたコメント集から引用】

誤解を恐れずに言う。
「面白いか面白くないかが大切」なのであって、「正しいか正しくないかは映画の埒外(らちがい)どこかよそでやってくれ、といった感じだ。
「我が家にテレビ受像機がやってくる」只それだけのストーリーで優れた映画を作ることだって出来るのだ。このことはもっと知られた方がいい。
再度言う。映画は映画である。それ以上でも、それ以下でも、ない。