2ペンスの希望

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落合映画本

都心の本屋で落合博満さんの映画本『戦士の休息』を見た。
スタジオ・ジブリ発行の冊子「熱風」の連載記事をまとめたものだった。パラパラ読んでみた。好みはもちろん違うが、至極まっとうな映画ファンであることは良く伝わってきた。1953年秋田の生まれだからモロに映画で育った世代なのだろう。
私にとって映画とは“最高の贅沢”だ。」と何度か書いている。
私にとっては映画館で作品を楽しみ、それからデパートの食堂で食事をするのが最高の贅沢だったのだ。(中略)それしかない娯楽を存分に楽しんでいたのだ。
見る作品を監督で選ぶことはない。(中略)監督はあくまでも黒子だと考えているから、映画を観る際にも関心を寄せるのは、「どんな作品なのか」、あるいは「あの俳優はどういう演技をするだろうか」という点である。
そもそも映画やプロ野球といった娯楽が人をひきつけるのは“はじめからわかってる魅力”と鑑賞前には“わからない魅力”が両立しているからだろう。
この本、仕掛け人は例によって(多分?)鈴木敏夫ジブリプロデューサーなのだろう。
売れる嗅覚はサスガ、何をやっても上手いものだ。きっとそこそこ以上に売れる本になるだろう。鈴木さんが何をやっても構わない。が、本の帯に「落合さんは映画監督をやっても超一流の監督さんになっただろう」という趣旨のコメントを寄せているのは、行き過ぎではなかろうか。いわゆるオーバーラン、上手の手から水が漏れる、というやつだ。
(たかが宣伝文句、お手盛りに外野からとやかく言うのは大人気ないようなものだが、)
落合さんにも映画の監督さんにも失礼だ。そう感じた。
というのは、本の中にこんなくだりがあったからだ。
私が監督として仕事を始める際に考えていたのは、すぐに七〇年近い歴史を持っていたプロ野球界で、過去の監督がどんなことしてきたか、あらためて検証しておくことだった。一、二軍を振り分けずにキャンプを行なった監督もいた。初日に紅白戦を実施した監督もいた。六勤一休どころか、ほとんど休みを取らなかっ た監督もいた。つまり、私は過去の監督が行なったことを検証し、自分がいいと思ったことを採り入れただけなのだが、それを知らない記者が「これは新しい。 落合ならではのやり方だ」と騒いだに過ぎない。どんな仕事でも、それを始めるにあたっては、その職種や業界の歴史を紐解き、どういうことをやって成功し、 どういうことで失敗しているか学んでおくものだろう。厳しい書き方になるが、現役時代から私のやることを「オレ流」で片付けるのは、野球界の歴史を勉強していない人なのである。
落合さん、面識はないが、真摯な人なのだろう。