2ペンスの希望

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長回し

記録媒体が、フィルムから磁気テープ、ディスク、メモリーカードへと変わるにつれて、
長回しがますます増えている。
緊張感を欠いた撮りっぱなし、だらだらと続く長回しには辟易する。それでも、ライブ感を大切にした、生な一回性・偶然性の尊重、現場の空気を丸ごととらえる即興演出‥と、したり顔で語る作り手が少なくない。持ち上げる取り巻き・幇間も居る。
撮影所時代の長回しについて、加藤泰監督が語った逸話が面白かった。
【鈴村たけし著『冬のつらさを 加藤泰の世界』ワイズ出版2008年6月刊】
1962年『瞼の母』雪の隅田川 橋の袂での盲目の三味線弾きの老婆(浪花千栄子)が酔漢にいたぶられ、主人公・番場の忠太郎(中村錦之助)に救われるくだり 5′30″
そもそもが突然流れたお正月映画に代わって浮上した企画だった。会社(東映)としては、当時当代一の人気スター錦ちゃんの映画をお正月に出さないわけにはいかない。撮影15日間という超早撮りのスケジュール。受けた加藤泰監督の条件は、B班をつけること、スタッフは全員加藤泰監督の指名とすること、ロケーションは一切なし、東映京都撮影所のセットを全部使えるようにすること、これだった。
‥‥以下は、鈴村さんの著書から引く。 (一部勝手に改変 鈴村さん御免)
件のシーン、これをまともに従来のカットを割った手法で撮ると数十カットに及ぶ。しかしかけられる日数はだけ一日。時間が足りない。そこで倉田準二率いる完全編成のB班を朝からセットに入れ、錦之助だけを除いた形でテストをくり返す。道行く人々に扮したエキストラももちろん参加させる。その間、加藤泰率いるA班は、別のシーンを別のセットで錦之助を使い撮影。終わると同時にB班のセットに移動し、錦之助も含めた仕上げてテストで呼吸を合わせ、一気に本番。二日分の作業を一日にしてやり遂げる。
長回しは限られた条件への対応の必要性から生じた手法だ、と加藤泰は語る。物理的に時間が足りない時に、ワンカットに絞り、スタッフ、キャストにあらゆる注文をつけ、思う限りのことをひとつの長回しの中に集約してしまおう、という発想なのだ。これが様々な制約と戦いながら、“キチンとした映画を作る”ための加藤泰の方法だ。「芸術的な発想から出発している訳じゃないんで、ええ、どうもお粗末で‥‥」と。

注文をつける監督がおり、それに応えるスタッフ、キャストの基礎力が備わっていた時代のことだ。言葉は同じでも、工夫も努力も精進もすっとばしたイマドキの長回しとは違う。姿勢も精神も 技倆も腕力も、何もかもが異なっている。