2ペンスの希望

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“詠み人知らず”でいい

相米慎二あたりまでがかろうじて撮影所で育った最後の世代だとするなら、さしずめ平山秀幸は、“町場”育ちの第一期生監督だろうか。
『呑むか撮るか平山秀幸映画屋(カツドウヤ)街道』【ワイズ出版 2016年10月 刊】を
読んだ。鈴村たけしの長時間インタビューに答えた語り下ろし本。丁寧なフィルモグラフィーと索引が附された400ページあまり。巻末で鈴村はこう記す。
平山秀幸監督は「僕の作るものなんて“詠み人知らず”の映画でいいんだ」と語っておられる。
確かに‥、雑食性の何でも屋。( ← 貶めてるのではない。むしろ褒めてるつもり)プロはそんなものだ。 日本映画が元気だった頃の先輩監督の言葉が幾つも載っている。
長谷川和彦:「映画は体力とホン(脚本)だ
弟子筋三村晴彦の監督昇進 撮影初日前夜に加藤泰が送った一言:「度胸ですな
藤田敏八:「映画撮ったら、三年間は反省するな
安藤庄平:「平山、映画は音やで
平山自身の言葉:「あとに残る活字で評価されるのがいいのか、そのときの観客の反応を喜んでいいのか、ちょっと分からないです」「理屈で攻めるな、意味なんてねえ
本の帯には「緻密にして大胆な映画術」とあったが、管理人の読後感は「まあ、いいか。やっちゃえ」の二十八年間。 ( ← これも誉め言葉のつもり。為念)
最後に平山自身の「あとがき」から:
この間、映画製作の現場は凄まじい変化を遂げてきました。無声映画からトーキーに変わった時期以上の大変換だったと思います。しかし、デジタル化してゆく「映画」でも製作現場で一番活躍するのはやっぱりガムテープと細紐でした。