2ペンスの希望

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全部娯楽品

いまだに映画は娯楽か芸術かなんて論議が続いているのをみるとゾッとする。
芸術は高級で娯楽は低級、そんな認識も根深い。
「私は良心的な芸術映画しか観ない」「娯楽映画はパス」それが「趣味の良い」「教養人」のあるべき姿だなんて‥‥旧態依然、笑止千万。
ジャーナリズムは偏見を持っている。映画は芸術品か、娯楽品のどちらかだ、というのだが、私は全部娯楽品だとおもっている。娯楽品でなくてはいけないのだ。ただ、脚本、監督、カメラ、演技、それぞれがそれぞれの分野で、最高度に結集した場合に、それが芸術性を持つことになるのだ。高名な文学者の原作を映画化すると、それが文芸映画だという。それはまちがいで、できた映画作品が文学を消化していなかったら、それは映画の負けで、文芸映画でもなんでもない。これは芸術だ、これは娯楽だと、区別をつけてはならぬ。映画とは、しょせん観客を楽しませる、娯楽を目標に製作するものだ。
道楽でやっているわけではない

昭和三十年代、映画が産業として盛んだった頃の永田雅一の発言だ。(星川清司『カツドウヤ繁昌記 大映京都撮影所』1997年11月 日本経済新聞社 刊 155頁から引用)
もっとも昨今、作りたいから作っただけ、わかってくれる奴だけわかってくれればいい、観客無視、というより観客不要の「道楽」映画もゴマンと流通している。
一方、単純に『笑える』『泣ける』映画を求める観客も増えている。 どっちもどっちか。
分かりやすく刺激の強いジャンクフード映画も、 観客置いてけぼりの学芸会映画も、
お上品高級芸術映画も、全部ゴメンだ。