2ペンスの希望

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難儀と歓喜

タイトルや解説だけで、何となく敬遠してきた映画がある。
そんな映画の何本かに出くわしておったまげる日々が続いている。嬉しいことだ。
映画は自分のこの目で確かめてみなければ分からない。改めてそう思う。何を今更‥映画に溺れてウン十年というアンタのキャリアは何だったの、と笑われそうだが、実際
その程度なのだから仕方がない。難儀なことだ。
お金と時間には限りがある。それでも映画を観るのが好きなので懲りない。百も承知の筈の嘘吐き謳い文句についつい騙されて、いそいそ足を運び、ドット疲れ果て、ため息をつきながら家路につく。その繰り返しで半世紀。
つい先日も「これを見ずに映画など語ってはならない。傑作の概念を遥かに越えたこの途方もない作品‥‥」なんて嘘八百に乗せられて、177分の大作を見ていねむりをしてきた。がっかりはしなかったものの、最後の30分だけで十分、その前の147分は冗長 もっともっと刈り込めるのに!なんて不遜にも思ってしまった。
いいことを教えてあげよう。
「途方もない作品」とか、問題作、野心作、意欲作、異色作なんて書かれてあれば、「私にはよく分からなかった。お手上げ。けど、なんかスゴソー、褒めると賢そうにみえそう」という意味だと置き換えてみればいい。
もうひとつ。
映画好きなら食わず嫌いせず、騙されると分かっていても、普段は触手を伸ばさないようなのも食ってみることだ。 もっとも 食あたりしても当方感知せず、責任は負わない。
(例によって‥拙管理人が、何におったまげて、何にがっかりしたかは書かない。)