2ペンスの希望

映画言論活動中です

大河 複々線 卍巴 キメラ

映画は多面体、どこまでも雑なるもののコンプレックスである。
商品と作品、娯楽と芸術の同居、伝統的な型・話法の練り上げとそこからの逸脱=型破りへの期待、その背理と混淆の果てしないせめぎ合い。
線:リニアではなく、面:スクエアとしての映画史を考えるとき、この背理と混淆を損なうことなく出来うる限りそのままに記述することは、それほど容易なことではない。一筋縄では行かぬ。多少の映画好きなら誰でも分かる話だ。それでも誰かがやった方が良い。そう思う。何故か。
映画百十余年の歴史は、短くない。今に続く若い世代の前には既に膨大な先人たちの営為の山脈が広がっている。それはもはや一人の人間が一生かかっても見られないボリュームだ。何かを捨て何かを選ばなければならない。だからこそ、彼らが参照し、受け取るに足る、真っ当正当(正統ではない!!)で健やかな「世界映画」史が必要なのだ。
今思い浮かべているキイワードを幾つか挙げる。
大河:本流傍流支流入り乱れ交じり合い、時には湧き水、伏流水の噴出も‥それでも本流は本流。 重箱の真ん中には誰もが納得するメインディッシュが鎮座するのがよい。重箱の隅ばかりほじくるのはハシタナイ。ここらでやめにしたい。刺身のつまは端っこで小さくなってればいい、
複々線:本線支線錯綜しながら出発進行。抜きつ抜かれつ、時には飛び火して思わぬところから狼煙が上がるなんてことも起こる。共時性シンクロニシティ
卍巴:酸いも甘いも、裏も表も、くんずほぐれつ、丁々発止。歪みながら騒がしく、猥雑な卍巴の世界。荒くれも下衆も、天使も悪魔も、詐欺師も天才も、皆いる。
キメラ:突然変異やアマルガム、雑種・新種、キメラ体も生み出しながら‥。
グレーの濃淡、その豊穣をそれぞれに味わいながら、幼き子らにも白黒がハッキリ伝わるように描き出せねば大人の仕事とは言えない。
何処かの御老体、ポルノを書くより最後の仕事に如何ですか?お弟子さんもご一緒に。