2ペンスの希望

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いじわるベンチ

今日は映画からほど遠い話題!

「いじわるベンチ」というのをご存じだろうか?言葉は知らなくとも、公園など町のいたるところに点在しているので目にしている筈だ。そう、仕切りを付けて、寝転がれないようにしたベンチのことだ。

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いつ頃からはびこりだしたのかは知らないが、少なくとも拙管理人が若かった頃は見かけなかった。きっとホームレスの人たちがたむろして汚いとか怖いとかの苦情を受けて、お役所が税金を使って間仕切りをつけて回ったのが始まりだったのだろう。(勝手な邪推・偏見・偏向意見が混じるけど 蒙御免)

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古くからあった木製ベンチに、税金を使って堅牢な金属製の仕切りを新しくはりつけたものを見かけ始めて久しい。何とも醜悪、イヤな感じだ。ご丁寧に「頑丈な仕切りをつけるだけではおさまらず、座面に傾斜をつけて、疲れて長くは座っていられないようなつくりのものも登場している。↓

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早川由美子さん(ドキュメンタリー映画監督)が撮影したもの

「やな渡世だな」(座頭市)常々そう思ってきたが、先日こんな雑誌記事を読んだ。

今はまだそれがベンチで寝転ぶことを防止する〝いじわる〟な対策として認識されていけれど、最近はその意匠自体も洗練され巧妙になり、あたかもベンチとは最初からその形だったかのように見えるものが出てきている。このままいくと、人々が〝ベンチで寝転ぶ〟という発想自体を忘れていく可能性がある」:建築史・建築評論家五十嵐太郎さんの発言(出典・引用元は雑誌『図書』2020年4月号 阿部航太さんの文章「サン・パウロ、フーアを歩く」)

そうだよな。子供の頃から「仕切り付きのベンチ」しか見たことなく育った人には、ベンチが寝転んでもいいもの、もっと自由で豊かなものだとはわかりっこない・気づかないよな、そう思って暗澹となった。

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おんぶにだっこ・至れり尽くせりの御親切設計。その内実はがんじがらめに管理され、縛られた不幸・時代の不運。それに流され気づかれずに過ぎていく情けなさ。

そこで、ハタと気が付いた。映画も同じかも‥。

幼児フード・ジャンクフードばっかり食べて育った世代が見慣れた「映画」は、ロートルが見た昔の「映画」とは別物なのだろう、と。

おなじように「映画」と呼ばれ、一見すると似ているようだけれど、実は全く質の違う代物なのだ、と。

「おんぶにだっこ・至れり尽くせりの御親切設計」で作られた最近の「映画」に慣れた諸君は、暗闇の中に二時間前後も閉じ込められ、自身の想像力を働かせながら息を殺し固唾を飲んで向き合ってきた「映画」体験なんて想像もつかなくなっているのだろうなぁ。

いまの映画は、とりわけ日本の劇映画は「いじわる間仕切りベンチ」仕様。余計なお世話、要らぬお節介のなれの果て状態の感あり。豊かでシンプル・自由、〝寝転んでも〟野放図でも良かったかつての「映画」は夢のまた夢か。いっそガラガラポンの焼け野原になって、ルネサンス=原始時代の復活が始まるほうがスッキリするのかも。ねぇ、Co‥さん。(不穏当表現 御容赦)