2ペンスの希望

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誰そ彼 ⇒ 彼は誰

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どの世界も似たようなものかもしれないが‥映画の世界「進化したのは科学技術だけ」「作り易くなって、作り難くなった」というのが、当ブログの基本認識だ。

生憎と映画史を語るほどの見識は持ち合わせていないので、思い付きと当てずっぽうでザックリと括るしかないが、歴史区分は三期に分けて考えられると思ってる。(乱暴狼藉は自覚の上 蒙御免)

第一期:古代~中古:黎明・創成期=見世物・興行時代

第二期:中世~近世:勃興・成長期=事業・産業時代

第三期:近代以降:発展・成熟期=個人・作家時代

第一期は、撮影所成立前プレ撮影所時代、第二期は撮影所の時代(撮影所が「夢の工場」と云われていた時代)、第三期はポスト撮影所時代=大手映画会社から離れた独立プロや個人映画作家たちの群雄割拠時代。

そして21世紀を迎える前から、日本映画の現状・現代~は、「第四期:没落・衰退期」に入ったと思っている。第三期がポスト撮影所時代とするなら、第四期はポスト映画館時代、つまりは映画館だけで映画を見た時代が終わり、パッケージ・配信の時代に入ったということだ。さらに、黎明期との対比でいえば、「薄暮夕暮れ誰そ彼「黄昏期」を迎えている。とはいうものの、100% 悲観してるわけではない。(⇐ 本当は かなり悲観的。実は崖っぷちでヤバいと思ってるんだが、ココは無理して強がり・瘦せ我慢)薄暮に続くのは、夜・暗闇支配の「暗黒期」が通り相場だ。けど、マクベスじゃないが、「The night is long that never finds the day.」=「明けない夜はない」そのあとにはきっと夜明け・輝く朝日が昇る筈、そう信じてる。もっともその頃には、管理人は間違いなくおっ死んでる筈)

かつて「娯楽の王様」「文化の必修科目」だった映画が「その他大勢」「端っこの選択科目」になってしまった現状に、誰がどれだけの危機意識を持っているのだろうか。ヌーヴェル・ヴァーグに始まる「作家主義」はとうに過飽和に達している。かつてpubricだった「映画監督」は粗製濫造の果て、近隣・仲間内・ツレが集う映画村社会でだけ通用・棲息する「映画作家」≒「個人」(person)になり、さらに人見知り・内向する「私人」(private person)になるつつあることを危惧する。

黄昏どきは、「誰そ彼」どき。つまりは「アンタ誰。ようわからん」=業界人・その筋の人・シネフィル・オタク・物好きの間でしか知られない。まぁそれでも良いけど、寂しいし情けない。

せめて、夜明け前の「彼は誰(かはたれ)」「ねぇねぇ、あのちょっと(カッコ)いい子、誰? 興味津々‥」というくらいには注目される人士が出てきても,‥罰は当たらないのになァ。

 

(追記:蛇足:余談:予断 悪あがき 一つ。黄昏時は、逢魔時(おうまがとき)・大禍時(おうまがとき)とも呼ばれる。「魔物に遭遇する」「魑魅魍魎が跋扈する」あるいは「大きな災禍を蒙る」時期でもある。覚悟すべし! かな?)