2ペンスの希望

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「誰だ それ」時代

若い衆と話していると知らない映画監督の名前が頻出する。一方で、オーソン・ウェルズ、とか、ジャン・ルノアールと言っても分からない。映画好きという人でも同じようなもの。コッポラ、ルーカスだって知らない。「誰だ、それ」と言われてしまうのがオチだ。

歴史が堆積すれば過去はつぎつぎに忘れ去られていく。これは世の習いだろう。

映画の「誰だそれ」時代は、かなり前から始まっている。とりわけ「時代の産物」「興行的価値重視」でやってきた映画では、新陳代謝が激しい。栄枯盛衰が早い。

ちょっと前に読んだ長嶋有さんの本にこんな一節が出てきた。「〝すごい〟という誉め言葉は危うい。〝すごい〟はすぐ次のものに更新される。案外 未来には残らない。」うろおぼえだが、そんな趣旨だった。

昔々、「たそがれ」や「かはたれ」時という言葉があった。薄暗くて明暗がはっきりせず、彼が誰なのか訊ねなければ判らない時刻をあらわす。

「誰そ彼」「黄昏」は夕方・薄暮に使い、「彼は誰」は早朝・黎明に使われる。

さてはて、映画の「誰だそれ」時代。薄暮なのだろうか、黎明なのだろうか。待つのは暗夜か、新しい夜明けか。

【言い訳:いやはや何とも、失敬。「誰そ彼⇒彼は誰」以前にも書いていた。でもまあいいか。いい加減だが、放置しておく。】