今日は、忘備録=忘れぬうちのメモリアル。永嶺重敏 著『明治の一発屋芸人たち』【2020.12.28. 勉誠出版 刊】を読んだ。
副題や帯にもあるように、明治前期 庶民最大の娯楽だった落語界の珍芸人を追いかけた本だ。四天王に加え七人男がブームになったともある。下は 明治十三年の錦絵『ごぜん上等すてゝこおどり』七人が勢ぞろいしている。
遺されてきた資料(書籍・画像・音曲)を丁寧にあたり、読み込んだ篤実なつくりで面白く読んだ。へーっと感心したことは幾つもあるが、ひとつだけご紹介。
明治期 仮名垣魯文が作っていた小新聞『いろは新聞』には、読者からの投稿による「落語家評判記」という欄があった。そこに「へらへら踊りの三遊亭萬橘」について「滅茶苦茶騒ぎ」とか「醜体極まる高座の仕打ち」ときわめて手厳しい批評が載った。しかしその四日後、この記事に対する取り消し記事が掲載される。『いろは新聞』の記者が実際に体験したところ「醜体極まる処でなく色気を離れた意表な芸道、説得て妙なり」と高く評価する内容である。
読者投稿をそのまま掲載する新聞、それをすぐさま訂正し取り消す新聞、メディアの乱暴と健全、記者と読者 書き手の横並びフラットな関係、‥‥いろんな景色が浮かんでくる。「文明開化 間無しゆえの未熟」という謗りもあろうが、「メディア黎明期のおおらかで健康的な様子」もうかがえる。当時は、けっこうおおっぴらに同じ土俵の上で 歯に衣着せぬ批評が飛び交っていたようだ。今のインターネットSNSは、匿名のタコつぼでのやりとりになってしまった。「隣のことは我知らず」お互いが耳をふさいで、届かぬところで吠えあっているように思えて仕方ない。皆が一つに集まる"広場"が消えて、それぞれ思い思いに(勝手気ままに)閉じて楽しむ時代になったようだ‥‥豊かになって貧しくなった気もするのが悲しい。