西川美和さんの映画は何本か見ている。好きなのもあれば、正直 ん?と思うのもある。(大きな声では言えないが、師匠より打率は高いと思ってる、ココだけの話。)それでもイマドキしんどい映画づくりを選ぶなんてどんくさくも奇特なことで‥と半分は同情と甘やかしで接してきた。後の半分は「ちゃんと作ってね」という厳しさと無いものねだり。つまりは、ときには一観客になったり、同業者同士のやっかみを感じたりしながら、無責任に眺めてきただけだ。
これまでも何冊か本を書き、ご本人も「書くことが好き。もともと脚本家志望だった」と述べているが、本を読んだのは初めて。『スクリーンが待っている』【2021年1月 小学館 刊】2021年2月に劇場公開した新作の制作準備過程を同時進行で雑誌連載したものだ。
礼儀作法をわきまえない行儀の悪い業界映画人の話や、新作を担う製作会社と若いプロデューサーの要望で、長く組んできた家族にも似た仲間の古参スタッフを切り捨てる話など、身につまされる話も登場する。腕は別にして、構えと覚悟の姿勢は悪くない。もちろん撮影所時代の映画作り、徒弟制度の世界はご存じない若い世代の筈だが、どちらかと言えば、古風なタイプのようにお見受けした。
例えば‥
「助監督たちは、シナリオや原作を読み込むところから始める。私が四年がかりで少しずつ取材してインプットしてきた情報に短期間で追いつかねばならない上に、現場ではさらに細かな具体性が求められるからだ。今回は、主人公が刑務所を出て来る場面から始まるから、彼らは刑務所の仕組み、受験者の暮らす部屋の内装、規則、食事の内容、出所するときの手続き、服装、髪型、持って行くもの、残して行くもの、刑務官の役職、言葉遣い、歩き方、声の掛け方、などなど、映画の冒頭わずか五分の場面のためだけでも、泡を吹くほど勉強する。
出所手続きの際に手渡される書類には、健康保険証や住民票を再取得する手続きに必要となる、刑務所にいたことを証明する書類や、帰住先までの鉄道運賃が半額になる特別証などがあるそうだ。そこまでは原作にも書かれているが、実際の形状や書式、文字の色などは周囲も誰も見たことがない。まさにそれら門外不出の情報を助監督たちはあの手この手で取り寄せた挙句、美術部に頼んで本物同然に複製を作り、中身を書き込む。役者が直に手で触れる芝居があるわけでもなく、クローズアップで映るでもない。けれど「お天道(てんと)さまが見てござる」というのが映画づくりを支える精神だ。数万の観客の中の一人にでも刑務所職員や服役経験者がいて「ああ、書類の形式が違いう。嘘くさい」と興ざめされると思えば、しゃかりきに調べ始める。」
「お天道(てんと)さまが見てござる」忘れたくないことばだ。