2ペンスの希望

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快音(『ひび割れた日常』から)

『ひび割れた日常』は、2020年5月から10月にかけて 人類学者と小説家と変な美学者の三人が綴ったリレーエッセイ本だ。【2020年12月 亜紀書房 刊】

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コロナ関連本はそれなりに読んだが、刺激的だった一冊。コロナ云々を超えた視野を感じた。

伊藤亜紗さんの「コロナ後の世界のために、何を、どうやって残すか。」とともに「私たちは「何を元に戻さないか」も考えなくてはならない。」という提言は、深い。

吉村萬壱さんが講演でよくするという話も残った。

船の甲板に並んで夜風に吹かれながら、遠ざかる港の夜景を眺めている二人。街路灯の光。

しかし厳密には、二人は決して同じ光の矢を見ることはないのです。同時刻に見ている二人の景色は、二人が完全に一つに重なり合いでもしないかぎり確実にズレているはずです。つまり、今この瞬間に私が見ている光景は、私にしか見えない唯一無二の世界なのです。」 

会場には、納得顔もあれば、はあ?というクエッション顔もあるそうだ。めんどくさい奴だと思われたりもするみたい。そこから吉村さんはこう続ける。

私はこの話が個人的に嫌いではない。なぜなら、自分や自分でない人々が、個々別々の個体としてこの世界に存在している意味のようなものを、少しだけ納得させてくれる気がするからである。沢山の人々がこの世に存在し、それぞれ固有の感覚で世界を切り取ったその無数の断面は、世界全体をクリスタルガラスのように輝かせるのではあるまいか。時にそんなふうに思ったりする。「日本はひとつ」「オールジャパン」のように殊更に一体感を鼓舞されると、せっかくの美しいカット面が研磨されてのっぺりしてしまい気がして、ちょっと興醒めである。

ともに、多様な多面体をそのまま受け止める「胆力」を感じる。

伊藤さんは、こんなことも書いている。

笑いは単なる清涼剤ではなく、新たな認識が開けたことを知らせる快音である。(太字強調は、いずれもすべて引用者による)

確かに! 人は、揺さぶられるようなものに出会ったとき、頭の奥で(耳の奥か?!)ホームランバットのような快音(人によっては鳴りやまぬ鐘連打 或いはまた 正解チャイムピンポ~ン)が鳴り響くのを聞く。

いつになっても「快音」が聞こえる映画に出会いたい。