2ペンスの希望

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je ne sais quoi

 「もともと生物学者を目指していたが、大学3年次に文転し」「身体性を大切にしている」美学研究者・伊藤亜紗さんの発言にこんなのがある。(『目の見えない人は世界をどう見ているのか』【2015年4月 光文社新書

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フランス語に、「ジュヌセクワ( je ne sais quoi )」という言い方があります。翻訳すると「いわく言いがたいもの」でしょうか。たとえばモテる人の魅力のように、感じとることはできるけれど、言葉にしにくいものを指します。「分からないもの」ではありません。「分かっているんだけど言葉にできないもの」です。

 美学というのは、要はこの「ジュヌセクワ」に言葉でもって立ち向かっていく学問です。ま、「カユいところに手を届かせようとする学問」という感じです。もやもやしているカユミの正体をはっきり見せてくれる。カユいところに手が届いた、という納得感は非常に身体的なものです。腑に落ちた、すっきりした、という身体的な気持ちよさ、ただひたすら論理によって攻めていくだけでは歯が立たないようなことでも、美学ならばしなやかに解きほぐすことができる場合があります。すると、自分の体のモヤモヤした部分までもが晴れたように感じられます。言葉にしにくいものを扱っているからこそ、理解の度合いが体に響いてくるのです。

 「ジュヌセクワ( je ne sais quoi )」「I do not know what」「何なのか分からない」「何とも言えない魅力」‥

「映画」の魅惑の根っ子にあるのは、これじゃなかろうか。伊藤さんの言葉を読んで改めて強くそう思った。

やっぱり、映画は文学より音楽や建築に近い「身体性の成果物(精華物)」なのだ。

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