美学者にして身体研究者である伊藤亜紗さんの本『記憶する体』【2019年9月30日 春秋社 刊】に面白いことが書いてあった。この本は、なんらかの障害を持っている十二人にインタビューし、彼ら彼女らの体の記憶・ありようを丁寧に記述したものだ。すこぶる刺激的で示唆的だった。
「 見える人は瞬時に、全体を把握したい。文章もまず「全体をざっと読む」ということをしたい。その分、細部の正確さは後回しになりがちです。一方、見えない人は、ひとつひとつ、細部をつみあげることによって把握したい。時間はかかるけれど、その分正確な知り方です。」(太字強調:引用者)
全盲の読書家:中瀬恵里さんはその違いを、
「 「雰囲気の共有」と「出来事の追体験」の違いではないか」と語っている。
見える人晴眼者は「見ながら考える」、一方見えない盲人は「さわりながら考える」という違い。人は誰でも、自分が持つ全感覚で知覚し思考する。盲人は、手触り・手探りで世界に直接触れて得た感覚に対して言葉を探していく。はじめに感覚ありき、で、言葉は後からついていく、というわけだ。すぐに言葉にしたがるのと、感覚を追体験し反芻しながら正確さを求めるのとの違い、ということか。
伊藤さんのこの本、他にも書き留めておきたくなる言葉がいくつも並んでいる。
「書くというのは行為というより出来事みたいなものかもしれません」(管理人は 行為=act action 出来事=accident と読んだ)
「記憶は、本人とともにありながら、(ときには)本人の意志を超えて作用する」
「「多重人格」ならぬ「多重身体」」
「思考というと、頭の中で行う精神活動のように思われがちです。しかし必ずしもそうではありません。物を介して考えているのです」
(この項、も少し続けます)