2ペンスの希望

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見れば わかる というより 感じる 

見れば 分かる。何となくだが分かる。「分かる」というより、より正確に言えば、何かを「感じる」。映像ゆえだろうか。言葉には出来ないが、どちらが優勢か、技術力の差、気力の違い、空気の流れ、いろんなことが見えてくる。TV桟敷のお気楽観客の錯覚かも知れないが‥、生中継かぶりつき観客の特権ではある。

「分かる」ことには階梯がある。もちろん そんなことは承知している。それぞれにどこまでも長く続く階段があることだろう。その階段は、きっとどんどん深く高くなることだろう。(種類も様々。分かる・判る・解る‥原義は別る、離る、あたりか‥‥古語辞典には「わかる(我離る)」「わたりかる (渡り離る) 」という語もある)

ルールもマナーもモラルも知らず、細かな技、高度なテクニックも、どれもこれもさっぱり分からない観客。どこまで何が分かってるのかは覚束ない観客。けど、観衆は間違いなく何かを「感じている」。知識の量、経験の有無・深浅を超えて、観客は心を動かされている。

 

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「百聞は一見に如かず」ということわざには管理人は懐疑的・〈眉に唾する派〉だ。けれども、言葉より映像が「感じる(感じさせる)」ことにおいて近しく親しいメディア=優位なメディアであることを、TOKYO2020OLYMPIC 競技TV観戦を通じて、感じている。

柔道の松本薫選手、卓球の平野早矢香選手、野球ソフトバールの藤川球児選手‥‥永くその道を歩んできた経験者 プロの解説、その凄さ・奥行き・底力も味わい深く、愉しんでいる、感じている。