2ペンスの希望

映画言論活動中です

movie

ここ数日、幾つか断片シーンを並べてみた。見直してみると、あらためて映画が会話や言葉・台詞じゃなく「アクション=動き」であることを再認識した。movie、motion picture という言葉の深い意味を感じる。その昔「活動大写真」と呼ばれたこともむべなるかな。(←古くっさい言葉でゴメン。)

f:id:kobe-yama:20171211152312j:plain

もちろん、会話や言葉・台詞のやり取りを軽視するわけじゃない。そこにもテンポ・抑揚・リズム・間合いなど「動的要素」はたっぷりある。かすかな表情の変化、ふと見せるしぐさ、ちょっとした「動的変化」が豊かな意味を伝える。それ以上に大きな動き・動作がドラマを運び、映画の根幹を支える。すべては、動きを通じて語られる。

「言葉以前」だったり、「言葉をはみ出した」りするもの、つまりは「言葉にならないもの」までをもそっくり丸ごと伝える力を持つもの、それが映画なのだと強く思う。

そうそう、もう一つ思い出した。役者の「演技」も「act:action(行為・行動)」だ。台詞廻しじゃない。身体丸ごとの「体当たり」で行くべし、だ。(とはいっても、余計なところに無駄な力が入った「熱血過剰熱演体当たり」演技なんかを期待してるわけじゃないよ。誤解なきよう!)