2ペンスの希望

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過渡期 論

映画は今 奈辺 にあるのだろうか。

黎明期、草創期、勃興期を経て、成長・発展し全盛期を迎え成熟期に達し、ゆるやかな後退局面、衰退期を生き延びている‥ロートルにはそんな風に見えて仕方がない。かつて二十世紀のど真ん中「必修科目」から、端っこの「選択科目」one of them になってしまった。

不意に「過渡期」という言葉が浮かんできた。

ためしに『日本語シソーラス 連想類語辞典』に「過渡期」と入力してみたら‥‥出るわ出るわ「時代の移ろい」「季節の変わり目」はじめ、三百を超える言い換え言葉が並んだ。

「選択肢のうちどれを取るか決定できずにいる」の項には、ジレンマ、トリレンマ、出口なし、八方塞がり、股裂き状態、あちら立てればこちらが立たず、ぐずぐずぐじぐじシャンとしない、もじもじいじいじ及び腰、決心がつかずに先延ばし、ひるむ、たじろぐ、ためらう、逡巡、遅疑、猶予、‥‥、ターニングポイント、角番、なんてのも。

けど、思えば、どんなものでも いつだって「過渡期」なのだ。

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古代中国の陰陽五行思想に「青春 朱夏 白秋 玄冬 」という言葉がある。‥‥映画は、どれだけ贔屓目にみたって、盛りを過ぎた白秋・玄冬期。論語によれば「玄冬」期は「思うままにふるまっていても道を外れない」時期だそうだ。また生まれたての幼少期は先の見えない渾沌の時期であり「暗闇=玄冬」を経て、季節は巡り、玄冬→青春を迎えるとも説いている。

季節は巡り来て、また廻り去る。

過ぎ去った過去を惜しみ嘆くのでなく、「思うままにふるまって 過渡期を生き」まだ見ぬ地平を拓けばよい。ただし、頭低く腰を据えて行くべし、だ。