2ペンスの希望

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オサラバ東京

映画の世界も長らく東京一極集中が続いてきた。人材も情報も資金もすべては東京に集まっている、そんな時代認識は今も根強い。けど断言する。東京しかないというのはもはや幻想だ。東京は張りぼての抜け殻都市化しつつある、そう思ってイイ。東京は窮屈で窒息ぎみ、空気がよどんでどんどん映画が作り難くなっている、そう思って間違いない。

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こんなふうに書くと、いい加減なことを言うな、弱者の強がり、負け犬の遠吠えはやめろ、という声がすぐさま飛んでくるだろう。けど、次世代映画づくりは、もうずっと前から日本各地で始まり進んでいる。

ここ数年 管理人が自分の目と耳で現認したモノだけに限って列記するのだが、北海道・札幌、陸前高田甲府、名古屋、京都・洛北、大阪・西成、神戸・長田、岡山・真庭、香川・高松、福岡、‥‥etc.  恐らくそれに数十倍する映画が地方地域で作られている‥[グループA]。

もちろん、町おこし・村おこし、観光振興、地方創生を目指したご当地映画、地ムービー(⁉)、大手Y興業や巨大代理店の肝いりプロジェクトや地域活性化・地域開発を謳った在京映画制作会社の動き‥[グループB]も盛んだ。

ただ、二つは別物、混同するわけにはいかない。[グループA]が目指すのは新しい映画づくり だ。[グループB]の照準は新しい飯のタネ、新規事業・ニュービジネス開発‥。要はビジネス優先。悪いとは言わないが、ちと寂しい。

映画信徒としては、地域や自分たちが元気になること以上に、映画が元気になることを期待したい。罰当たりな言いぐさだが‥。

1960年代流行ったのは「上京」ソングや「上京」小説だった。青春時代。若者たちはこぞって東京を目指した。時代は今、青春から朱夏・白秋を経て玄冬を迎えていると指摘する人もいる。確かに。青春が「上京」なら、玄冬は「脱京」だ。とはいえ、玄冬は厳冬期でもある。外気は冷え切り外からの目は冷たい。条件も状況もきっとやさしくはない。それでもめげずに次なる春を目指してほしい。