2ペンスの希望

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ふや町映画タウン

しばらく間が空いた。今日から第2ステップに入るつもり。
第2ステップのテーマは、《新しい日本の映画。その為の準備体操》。
といっても別に褌を締め直してとか、しっかりやろうということでもない。
ナスがママなら、キュウリはパパだ。‥‥ある年代には分かる筈。(これでいいのだ。)

第2ステップのスタートは、「ふや町映画タウン」からと決めていた。
「ふや町映画タウン」とは何か。京都市内にある奇特なビデオレンタルショップのことだ。知る人ぞ知る。イマドキVHSテープしかレンタルしない。(ワイルドだぜ、っと こちらは少々旬のネタ?)置いているのは旧作・名作オンリー。タイトル数は邦画・洋画取り混ぜ 優に8000を超える。オーナーのO君とは旧知の仲なのだが、あまり深く話し込んだことは無かった。それがちょっとしたいきさつで、去年あたりからちょくちょく話す様になり、今は月に一回きっちり通っている。出会った頃は、O君京都の学生だった。店を始めて十年が過ぎ、去年男の厄年を迎えたと聞いて、驚いた。けど、そりゃそうだろう。こちとらだって還暦を過ぎたロートルになってるんだから‥。
そのO君、澄ました顔で言う。「僕は、VHSが膨大にリリースされ始めた時代の申し子。映画を個人で所有することが出来るようになった第一世代。選り取り見取り、何てハッピー、恵まれているんだろう」聞かされた当初は、正直嘘だろう、と思った。封切り二番館三番館四番館、アートシアター、名画座、二本立、三本立、オールナイト、毎週のように新作・力作・話題作が目白押し、それもすべてスクリーンで!黄金の60年代70年代を経験してきた俺たちの時代の方が絶対にハッピー。ずっとそう信じてきた。O君は負け惜しみ、強がりを言っているだけだろ、そう思ってきた。しかしどうやら違うのだ。彼は、本心・本気なのだ。好きな映画を自分でコレクションし、好きなときに好きなだけ見ることが出来る幸福。O君は正業につかず、アルバイトで溜め込んだお金をすべて注ぎ込んで映画のコレクションを増やしていった。それが嵩じて、小さくない借金を背負って、ひとりアーカイブとも言うべき「ふや町映画タウン」を始めた。フィルムは別としてもビデオのコレクション8000タイトルは世界でも有数、と或る公的な映画研究機関の研究員も認めている。(ということは邦画については、恐らく世界一のコレクションということになる。)十年で何とか借金も完済した。しかし、時代はVHSからDVD・Blu-rayへと移り、今やネットからダウンロードする時代になっている。VHSテープも再生機器ももはや風前の灯火。O君の「ふや町映画タウン」もここ数年の経営状態は、超低空飛行が続いている。けど、そうなのだ。O君の言う通りなのだ。人は時代の中で出会ったものとともに成長・成熟するしかないのだ。スクリーンと映画館の時代から、モニターとビデオの季節を経て、デジタルとネットの時代へ‥。
数日前、映画系の専門学校で先生をしている人からこんな話を聞いた。ここ数年入学してくる学生たちは、映画はスマホで見るもの、悪びれることも疑うことも無くそう思っているそうだ。それでも結構深いところで、映画に魅せられたからこそ、映画の学校にやってくる子もいる、というのだ。スクリーン至上主義のオールドファンが聞いたら卒倒しそうな話だ。しかし、今の18、19の若僧にはそれが出発、それがフツーなのだ。
拙ブロガーはこれまでも出来るだけ「昔は良かった、今の若者は不幸だ」という発言を慎んできたつもりだった。けど、どこまでいっても、年長さんの言葉には、説教臭が滲むものなのかも知れない。ビデオから始めて映画の沃野を歩き始めた人もいれば、スマホで映画に出会う人もいる。そんな人たちが、どんな新しい映画を達成するのか、それは未知数だ。正直なんの成算もない。けど、立ち枯れてはいけない。強くそう思う。〈液状化〉の中にあっても新しい日本映画の準備を怠るわけにはいかない。いかにお先真っ暗で、闇雲な手探りであったとしても‥
奇特な「ふや町映画タウン」が、危篤状態に陥らないうちに、既得(権益)にしがみつくアンシャン・レジュームは退場願わねばならない。
続きは明日。