2ペンスの希望

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古文書その二「吸収と反射」

昨日に続いて、古文書つづき。
三島由紀夫の《青空》は、いうならば「吸収する構造としての映像」=超越的なる「神」に吸い上げられる映像であり、バタイユの《青空》は、「反射する構造としての映像」=「哄笑」によって神を引き摺り下ろす映像だ。その差は、「嗤(わら)い」の有無にあり、
批評性の差にある。
いうまでもなく批評行為とは、自己と対象との無限の往還運動であり、自己を対象へと同化させようという意志と、対象を自己に繰り込もうとする意志とのアンビヴァレンツな
せめぎ合い、そのダイナミズムの謂いだ。吸収と反射。陶酔と覚醒。そのどちらが批評にとって有用かといえば、反射作用のほうだろう。

なんとかして、バタイユの青空=反射する映像=覚醒という論理展開を押し付けたかったのだろう。なんとも性急、強引で舌足らず。