昨日に続いて、古文書その三。
「ぼくは、作家とは、作品の向う側にいるもの、すなわち作家というものをある抽象的な非在の場所を獲得しているひとりの絶対者として考えてきたのだが、それはぼくの誤解にすぎないのであって、作家もまたこちら側の世界に、すなわちぼくのすぐとなりにいるのではないか、と考えはじめている。
つまり、唯一「作品」のみが非在としての彼方の世界にあるのであって、作家も観照者たちの住む此方の世界にいるほかないというのが事実なのであることを踏まえるなら、一旦完成したのちには、作家も観照者もともに同等の資格において対象としての作品に向かうということになる。」
一文が長く延々続く言い回しは、当時流行っていた野坂昭如の文体を真似ようとしたものだったと記憶する。非在とか観照者といった用語にも稚戯を感じる。 (^-^;;;)