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『捨身な人』:共同制作 著作権

小沢信男の『捨身な人』【2013.12.20. 晶文社 刊】を読んだ。小沢本はどれも皆 サラリとしながら濃厚な味わいで舌を巻く。池内紀は「その書きものは溌剌としてエスプリとユーモアに富んでいる。やんわりと毒がこもっていて、辛辣で鋭い。それでいて表現に恥じらいがあり、凛として美意識につらぬかれている」と書いている。【2017.3.10. ちくま文庫オリジナル『ぼくの東京全集』解説 百景から全集へ 】

今回も堪能した。

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交遊のあった五人について書いた本だが、「捨身な人」は、小沢も含めて六人 いずれも「素敵な人」たちだ。

中から、花田清輝が生涯掲げ続けた「共同制作」と「著作権」についての小沢の一節を。

■ 共同制作

創作は孤独な密室の作業で、その作品は作家様の私有財産で、読者・観客は一方的な消費者だ、というこんにちの仕組みが、べつだん永遠不滅ではないのだと。そもそも芸術の創造は、万人に共通の、ひらかれた豊かさのものでしょう。

みんなで仲良く、なぁなぁの没個性的な作品をつくりましょう、というのではない。各人が懸命に自己を表現しながらしかも共同の一個の作品だ。すると、どうなるか。

集団の中で個を鍛える。

孤独な創作者同士がにびのびぶつかりあう力学

著作権

文芸が作家さまのお作りになる私有財産として、やたらと奉っているのを、その仕組みが近代というやつなんだが、それをワァーッと乗りこえちゃおう、ということです。

著作権を没後七十年にもひきのばそうなどというのは、よほど根性が浅ましい。

ほんらい万人のものに豊かにひらけているはずの芸術を、私有財産に囲いこみ、文化資源というひたすら儲けの具にする、その制度が、根性が、貧しいからですよ。

こういうと、たいてい質問する人がいるんだ。ではあなたは著作権も、印税も、原稿料も要らないんですか。冗談じゃない。印税も、原稿料もくれる約束ならばしっかりいただく。生活者の、あたりまえの権利じゃないですか。すると、それでは矛盾する、などという間抜けな形式論理を、賢そうな顔をしてぬかしやがる。

いずれも異議なし。断固全面支持。どこかの「映画監督協会」(という職能団体)の面々に聞かせたい。