2ペンスの希望

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何をいまさら青臭い

何をいまさら青臭い、青二才でもあるまいに、ポンコツ寸前のロートルが何をほざく、
と嗤われそうだが (苦笑、失笑、嘲笑、冷笑、憫笑、蔑笑、毀笑‥‥何でも好きなのを入れてくれ)、
いまだに映画に「監督」とか「作品」とか書くのも見るのもこそばゆい。躊躇してしまう。
もちろん「映画」が「監督」の「作品」であることに間違いはない。日本映画監督協会が積年「映画の著作権は監督にある」と主張・運動していることも十分承知している(つもりだ)。それでも、
映画ゲージツ・映画という表現物は「優れた共同作業による産物なのだ」という思いが強い。監督はチームの右代表・責任者以上ではない。現場監督・スポーツ監督、‥‥。「だからぁ、〈品質責任者〉として監督という呼称を使ってるんじゃん。アンタ往生際が悪いんじゃない。神経過敏、こだわりすぎ!」と云われるのが関の山だろう。分かってる。いや分かってない。 堂々巡りの迷妄迷路から抜け出せない。
文学や絵画・彫刻あたりはそうでもなかろうが、音楽や舞台演劇・建築なんかも複数の人間・スタッフが寄ってこって作る制作物なのだから、映画の代表責任者=監督で何の不都合がある。そう言われてしまったらおしまいだ。 そのとお〜り。反論はない。
それでもモゾモゾ、ぶつぶつ‥‥。
人間だれしも言葉の好み、好き嫌いがある。拙管理人で言えば、言説とか召喚なんて言葉遣いはしない。したくない。コンセプト、コンテンツ、コンテキストなんて横文字も
苦手だ。
往生際が悪い、責任感が中途半端、腰が据わっていない、自分でもそう思うのだが‥ もうしばらく時間が掛りそう。