2ペンスの希望

映画言論活動中です

二つの大切

誰に向けて何を言うのか

とにかく調べて調べて調べ尽くすこと

今の日本の映画に欠けているものはいっぱいあるけれど、とどのつまり この二つなんじゃないかなと思ってる。

かつて沖島勲監督は或る座談でこう発言していた。

沖島単にシステムに乗っかって延々と誰に向っているのも、誰に作っているのかも分からないままで、映画をつくってる。
そうじゃなくて、一回 誰に向って本当に何を言いたいのか?あなたにむかって言いたいことがあるのならば、(どうすれば伝わるか)ひとつの考え方やものの言い方を考えなくてはいけないわけ。そういうことをしないで、自己表現っていうのは善であるというのを日本の教育は全部やっている。自分を表現するのは素敵なことだと言われながら、ガキたちがみんな自分を表現しようと。だけど、誰に向って何を表現してるの‥がわからなくなってる

思い付き、ひらめき、ワンアイディアからスタートすることを否定はしない。けどそれだけで走り続けるのは難しい。脇甘く、ざるで雑のままの材料では遠くまでは走れない。見切り発車と中途半端が多すぎる。

横にしたり、裏返したり、斜めから見たり、ためつすがめつ(矯めつ眇めつ)、隅から隅まで、奥の奥まで調べ尽くすことだ。何っ?「そんな時間もお金もないし、うかうかしてたら盗まれる、先を越されるっ」てか。なあに、心配しなくっていい。安普請は早晩バレる。促成栽培・粗製濫造は放っておくことだ。世間はそんなに馬鹿じゃない。昔に比べ今は調べる手立ては格段に増え容易になった。それなりの手立てを施し、並の常識・良識・日常感覚を持てば、安易安価にかなりのとこまで調べられる。なのに、調べない。遮眼帯をつけたまま、安楽椅子に座って、馬脚を露す。観客・受け手を見くびってはいけない。底浅いやっつけ仕事と見間違えられないためには、調べごとは欠かせない。(例えばの話、アジフライが評判の食堂が出てくるのなら、なぜ美味いのか、レシピまでを調べる。)

調べたことをどこまでどう盛り込むかは別にして、まずはとことんまで調べあげることだ。平面二次元のスクリーンを奥行き深い三次元にするためには端折ってはいけない。その上で作り込む。

さらに望むなら、頭低く、肩の力を抜いて、無理なくさりげなく、さらりとさしだすのが一番いい。

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無い物ねだりみたいに、ここまで望むのは何故かって?

作者の関心と体験に発して生まれた産品が、受け手である観客の関心に響き、体験を喚起して、みんなして手に手をとってともに普遍に届きたいがため、だ。