2ペンスの希望

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「発展途上」作家

久し振りに町で映画を観てきた。といってもシネコンじゃない。かねてから注目してきた女性映像作家の作品集の一挙上映シリーズだ。

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最新作の劇場公開に合わせて、2021年春から夏にかけて東京や大阪で上映されてきたものを遅まきながら神戸で観た。

当然ながら、肌に合うものもあれば、受け付けないものもあった。初期の作品から最近のものまで通して観ると方法論・手法について、作家の暗中模索・手探り状態の軌跡が見えてくる。総体として、「表現者としてまだまだ迷いの中にあるな、『発展途上』だな、」という印象だった。(偉そうな物言いだが、スレッカラシの古狸観客の勝手な言い分で御容赦願う)

或るインタビューに応えて彼女はこんなことを言っていた。

東京では伝えたいものを自分の中に探さなければいけなかった。けど、たまたまボランティアで出かけた東北では、伝えたいものや人・風景に出会って、探さなくともそれらを映像で、そこに居なかった人・他の人・次の人に「受け渡せば」よい。そう考えるようになった。」と。

仲介者・媒介者としての「映像作家」。モノを作るとはそういうことだ、という彼女の姿勢はハッキリして揺るぎない。ただ、それをどれだけ強く(堅固に柔軟に)表現できるか、についてはまだ迷いがあるように感じた。覚悟と確信はあるが、自信はまだない、といったところか。

基本姿勢は大好きだ。善きものだけをみようとする意志は美しい。ただ、醜いもの・見たくもないものも見ないことの弱さ・痛みも感じる。上澄みしか、掬い取っていない。厚かましく我が儘な受け手としては、現実を丸ごとゴロンと差し出す強さ・開き直りが欲しくなる。無いものねだりなのは承知だ。自分では出来ないくせに‥と言われればその通りだ。けど、期待大ゆえの進言だと受け止めてもらいたい。

屋上屋に架すみたいだが、さらに感じたことを‥‥。

彼女の映画は「無臭」だ。東北大震災直後の現地には、腐った魚の臭いが漂っていたと読んだことがある。阪神淡路大震災では、焼け跡に煙の饐えた臭いがしばらく残っていた。上澄み・光だけじゃなく、暗部・翳をも描け、そう言ってるわけじゃない。描く描かないはどちらでも構わない。ただ、それをしも視野視界に繰り込んでると思わせる深さ・強さ・したたかさを感じたいのだ。