2ペンスの希望

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平監督

荒川洋治さんの講演集『文学の空気のあるところ』【中央公論新社2015年6月 刊】を読んでいてこんな箇所に出合った。文芸評論家平野謙による高見順評の紹介。
梶井基次郎のような芸術性はないし、志賀直哉のような文学的世界もない。ひとことで言うと高見順は「平作家」である。平社員(ひらしゃいん)とかの平。人が住むところにいる。「平地」にいる。それが高見順の立つ場所なんだ。
貶めているのではない。むしろ賞賛の言葉。「気品とか格調とか風韻といふようなものはないが、読み出したらやめられないほど面白い。」‥‥と、称える。さらに
美学や文学を求めて高みを目指すのではなく、文法で書く。文法は誰もがさわれるし、使える。庶民的でフェアなもの。そのことで世界がひろがる。倍になる。それが、どんなものも公平に扱うことにつながっていく。」‥‥と、荒川さんは補足している。
(元の講演は、2013年7月31日 よみうりホール。日本近代文学館主催の「夏の文学教室」シリーズ 「高見順の時代をめぐって」)
いいなぁ、平作家。
映画でも平監督がいれば嬉しい。大切にしたい。
高みを目指し、高みに登り、上から見下ろすのではなく、人が住む平地に立つ平監督。大監督や名監督、巨匠、天才、秀才、俊才、鬼才(奇才?)ではなくとも、 人の強さや弱さ、ずるさややさしさ、喜びや悲しみをきちんと見続けることのできる平監督が増えるといい。 そのキイワードが、美学より文法だということも忘れないでおきたい。