2ペンスの希望

映画言論活動中です

賞味期限

映画の賞味期限について考えた。
数年前から定期的に旧作映画を見る会に参加している。最近見たのは O.ウェルズ『市民ケーン』(1941)と小津安二郎『一人息子』(1936)の二本立。 
かたや、
天才映画人による、怪物市民の生涯を描いた意欲満々「大文字」のスピードボール。
世界中の映画人・評論家がこぞって歴代ベストワンに選んできた古典・伝説的「名作」。こなた、
どこにでもいそうな母と息子の交情を淡々と描いた「小文字」の映画、こちらも世界のOZU、世評に高い「名作」だ。
会に参加したのは老若男女20名あまりの映画好き。ウェルズ映画には厳しい結果。
製作当時、専門家には受けたのだろうが、性急で良さが伝わってこない
技術的、手法的な評価は認めても、私は史上ベストワンには選ばない
うなるけど、うざい。舌を巻きながら観たが、大仰でうっとおしくも感じた。
もちろん「私はとても面白く観た」という声もあった。けど、風当たりは概して強かった。
これでもかと重ねられるオーバーラップに始まり、広角レンズの多用、被写界深度を深くとったパン・フォーカス、縦の構図、ローキー・ハイコントラストで明暗を強調したライティング、光と影の演出、ローアングルとハイアングル、クレーンショット、極端なクローズアップ、奥行き深く縦三層構造で繰り広げられる芝居・それぞれのアクション・リアクション、合わせ鏡、音つなぎで飛び越えられる時間‥、挙げだしたらきりが無い。
キャメラワークや編集技法だけじゃない。謎引っ張り:ケーンが最後に残したつぶやき「バラのつぼみ」一言を軸に2時間たるみなく筋を運ぶストーリー展開、マクガフィンとWミーニング。過去と現在を行き来する回想形式の巧み‥、練りに練られた脚本のうまさは、以来永く映画シナリオのお手本と称揚されてきた。
この「世界の映画の教科書」の評価がイマイチそれほどではなかったのは意外だった。もっと正直に書こう。上述最後の映画評「うなるけど、うざい」は何を隠そう拙管理人の感想だ。二十代から何度も観てきて、その度に感心してきたというのに‥。
スキのない完璧な映画より、スキ間だらけ余白の多い映画の方に気持がかたぶいている自分に一番驚いた。
映画にも賞味期限があるのだろうか、技術革新と七十余年という時間経過ゆえなのか。それとも、人間の側の賞味期限切れが近づいているせいなのか。世界や社会といった「大文字」世界より、家族や近隣といった「小文字」世界への関心の縮弱(後退?衰弱?)の表れなのか‥。
洩らした言葉を耳にして或る人が呟いた。『一人息子』と『市民ケーン』だって?二本とも母物映画じゃないか、母親と息子の葛藤・愛情物語。  成程その通りだ。
映画『一人息子』は、「人生の悲劇の第一幕は、親子となったことにはじまっている」という芥川龍之介侏儒の言葉」の箴言字幕から始まる。話が横道に逸れていったので、今日はここまで。映画の賞味期限については、引き続き考えていく。