2ペンスの希望

映画言論活動中です

数字の話 1000本ノックつづき

映画1000本ノックの話を続ける。
ベストテンやおススメの50本ならよく見かける。けど1000本となると少ない。
淀川長治さん(1909〜1998)に『淀川長治映画ベスト1000』がある。【岡田喜一郎編河出書房新社 刊 2000年5月初版2009年増補2013年決定版】
これまでに見た映画は二万本を超すといわれ」る双葉十三郎さん(1910〜2009)には『外国映画ぼくの500本』『日本映画ぼくの300本』【ともに文春新書2003年2004年】はじめ500本シリーズが幾つかある。いずれにも五十音別、年代別、監督別などの索引が附された労作、親切設計だ。このあたりふや町映画タウンの在庫リストも同様に充実している。 昨日も書いたが、ある程度の本数、数にあたることで、映画のリズム、映画が発する空気をつかむ方法が身に付いていく。
年に数度の名湯温泉より、毎日入る銭湯・内風呂、これである。
ただ、いかんせん淀川さんも双葉さんも過去形だ。去る者は日日に疎し。人間は出会った時代の中で生きて死ぬ。幾つの頃に見たかのバイアスもかかる。同時代にも見逃した映画なんて無数にある。事実、お二人のセレクションには、管理人がブログタイトルにも掲げる 忘れじの『2ペンスの希望』(1952年カンヌ国際映画祭グランプリ レナ―ト・カステラー二監督)も出てこなければ、加藤泰の映画も一本も登場しない。だからダメだと云いたいんじゃない。偏りが生じるのは致し方ない、認めるべきだ。だからこそ、多数の参加が不可欠になる。是非とも、現役で年代も様々、2000年以降の映画への目配せも怠らない人々の1000本も披露戴きたい。そう願う。とりあえずの必要条件は、
1.出来るだけ多くの人がエントリーすること
2.網羅集積されること
3.検索機能が充実し、容易に閲覧に供されること、あたりか。
どなたかウエブ上で実現してやろうという奇特な篤実家が挙手願えないだろうか。