2ペンスの希望

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ジャズ喫茶=映画館=博物館 ?!

オーストリア人の日本研究者エクハート・デルシュミットが書いた「戦後におけるジャズ喫茶の変貌を取り上げた論文」を読んだ。
(Eckhart Derschmidt,The Disappearance of the ‘Jazu-Kissa’
State University of New York Press,1998 )【註:末尾参照】

1950年代―「学校」(School)
(日本の)ジャズ喫茶は、ジャズを勉強する〈学校〉として主に機能し、店主が〈教師〉の役割を担う。客たちはきわめて真面目な〈生徒〉のような態度が目立つ。
1960年代―「寺」(Temple)
禁欲的な趣向と店内の規則厳守を徹底する「マスター」をありがたく推し戴く、〈お寺〉やカルトなみの宗教的空間のジャズ喫茶が増える。
1070年代―「スーパー」(Supermarket)
客離れ対策として、店内を明るくしたり、軽い親しみやすいレコードをかけたり、客のために漫画を棚に置いたり、‥生き残るために必死にあの手この手を使う店が多い。客引きに懸命になったジャズ喫茶は、「商品」およびサービス拡充の作戦において、〈スーパー〉に似ている。
1980年代―「博物館」 (Museum)
ウォークマンの普及とCDの発明。前者のおかげで個人がいつでもどこでも大音量でかなり良質の音で音楽を聞くことが可能となった。そのうちに、小さなプラスチック・ケースに入る、いかにも大量生産の匂いのするCDに不満を感じる客も現れ、「本物のジャズ」として古いLPレコードと大きなしゃれたジャケットを、大切に保存してきた本格的なジャズ喫茶に対する見直しが表面化する。この類の若い客にとって、ジャズ喫茶というのは過去を大切に保存する〈博物館〉のような存在である。

「ジャズ喫茶」を「映画館」に置き換え、時間軸を少しズラせば、戦後映画館史といっても通用しそうだ。シネコンはさしずめ「スーパーマーケット」。固定ファンが集うミニシアターは「寺」か。そういえば、胡散臭い説教坊主やうっとうしい茶坊主も居る。

最後のフェーズが博物館。絶滅危惧種扱いとは、なんとも‥ビミョー。すべての文化は同じような盛衰を辿るものなのかも知れないけれど‥‥う〜む、思案投げ首にはしたくないが、思案腕組は必至。

【註】原文は英語論文。アメリカ人マイク・モラスキー(Michael S.Molasky)が和訳したものを読んだ。つまり、モラスキーの著作『戦後日本のジャズ文化 映画・文学・アングラ』(2005年8月 青土社刊)からの孫引き。