2ペンスの希望

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「悲しすぎて笑う」

さらに背反有理 続き。
悲しすぎて笑う佐賀にわかの女座長筑紫美主子の半生を描いた森崎和江さんの本のタイトルだ。【1985年6月文藝春秋刊】
北海道生まれ白系ロシア人の父を持つ少女が道化芝居・佐賀にわかの女座長として生きた大正から昭和を活写する書き下ろしノンフィクションだ。あとがきにはこうある。「(森崎)が筑紫さんに心ひかれるのは、悲哀を笑いにかえていくみずみずしい力量である。
ここでふと数年前に手掛けた市販映像のことを思い出した。テーマは障害者雇用
或る大手製薬会社が始めた障害者雇用の特例子会社を撮影した。そこで障害者とともに働くOさんにインタビューした。
その時の言葉「笑わなしゃない」が強く印象に残った。
障害者やから出来なくてもしょうがない、と甘やかしたらあかん。なまじ障害者に対する知識がありすぎる人ほど過保護になる。仕事として受けた以上、目の前にあるものはやらなあかん。けど誰でも始めは出来へん。怒っても出来へんものは出来へん。何か笑わなしぁない。怒ってても笑わなしぁない。‥職場は喜怒哀楽をぶつけ合わなければ嘘。喜怒哀楽というのは人間にとって一番大事なことでしょ。怒るということも大事なことやし、泣くということも大事なことなんですよね。だから怒ってて一緒に泣けるということは凄い大事なことやと思うんです」(エルアイ武田 大森千恵さんインタビュー抜粋)【フルーク映像製作の市販DVD『企業と人権シリーズ第2弾 構えない 隠さない 飾らない〜障害者雇用最前線〜』より】
悲しすぎて笑う。怒って泣ける。
喜怒哀楽の奥深くに垂鉛(おもり)を降ろした言葉は弾機(ばね)のように剛毅だ。
そういえば、芭蕉
「面白(おもろ)うてやがて悲しき鵜舟哉」という句もあった。ちょっと主旨が違ってきた。ま、脱線は事の常。いい加減でいい加減
おっと、今書いていて気が付いた。いい加減は果たして良いのか悪いのか、
はたまた加減もまた加えると減じる‥‥背反有理そのものじゃないか。
どこまでも続きそうなので、今日はここまで。