2ペンスの希望

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読まずに書けるか 見ずに撮れるか

小説を読まずにいきなり小説を書きはじめる青年、ろくに映画も見ないで映画を撮り始める若い衆、最近そんな連中が増えて往生している、と或る芸術系大学の先生が嘆いていた。もっとひどいのは、それを「個性」だ、オリジナリティー溢れる「作品」だと持ち上げる無責任な大人だろう。ともに始末に負えない。
過去に学ばないオリジナリティ(独創)なんてない。そんな独り善がりのことを昔は「無知」と言った。ただただ下手なだけ・わけの分からない自己満足、そういうのは「勉強不足」という。
いかに技術が進化して、カメラや編集ソフトが簡便に操作できる時代になったとて、先人たちの仕事を浴びるほど、溺れるほど、見聞きしないで果たしてものづくりが始められるのか。そんな考えは古くさく、流行らないのか。誰もが文章をたやすくコピペする今の時代、もはや無効なのだろうか?