2ペンスの希望

映画言論活動中です

「なんや、こっすいねん。」

淘汰と選別は市場に委ねるべし、介入不要、そんな反論を受けた。
世の中盲千人目明き千人、確かにそのとおりだろう。
映画が作りやすくなったことは悪いことではない。要らぬ辛抱・堪忍をする必要はない。行く手を阻むハードルは低いに越したことはない。障害なんてないほうが良い。我慢は身体に悪い。しかし、いくら古臭いといわれようと、身体で覚えるしかないことがあるのは事実だ。苦労や工夫がなおざりにされたのでは、不味い。美味しく戴けない。
何をしても良いということと、何ごとかが達成されるということの間には生半(なまなか)ならぬ距離がある。その恐ろしさを知らないで簡便に天狗になられたのでは困る。勘弁できない。ダメなものはダメ、なぜダメなのかをくっきりはっきりと教えて差し上げたほうがよろし。 最近読んだ佐々木中さんの小説「神奈備」にこんな台詞がある。
「‥この身ひとつの力ではなすこと叶わぬ筈のことが、不意にできてしまえば、有り難しとて、拝むはよし。力なくて、理もつめず、何もなさざるに、ただ拝むは、なんや、こっすいねん。‥」【河出書房新社 2015年2月 刊】