2ペンスの希望

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「像」

キイワードその二は、「像」。
像とは、見えないものを見せる力だ。記号とは違う。
眼の前に結ぶのではない。像は、表層を超え奥行き深くに浮かび上がるものだ。
イメージとは見るものではなく、思い浮かべるもの。 Seeすることは思惟すること。
底知れぬ深さこそが身上である。
目の前のものを透かして見えてくるものをどう設計し、準備するか――あの手この手で先達たちは、腐心してきた。情景描写が心情表現の反映である例は、今も無数にある。散りゆく花、篠つく雨、雨上がり、夕焼け雲、虹、花火、‥‥エトセトラ、エトセトラ。
使い古された定番中の定番だが、上手く決まると快感を誘う。ベタだと失笑を買う。
見えないものを見せる術(じゅつ)。見せないで見せる術(すべ)。
それは、むしろマジックとでも呼びたい練達の技だ。
像とは、含み・膨らみ、ふくよかさのことだ。含意の豊かさ・意外性。見立てる力。
記号とは全然違う。
ウエハースばっかり食べている赤子に歯は育たない。噛む力は強くならない。
目の前に出された記号を次々に消費していくだけでは、味もしゃしゃりもない。
眼を閉じることで、はじめて見えてくるものがある。そのことを知らない(信じない)作り手は、映画なんて早めに辞めたほうが良い。
実像より虚像の方がずっとリアルで生々しいことに気付けるかどうか。