美しい本を読んだ。
『フランシス子へ』
帯文にはこうあった。
「自らの死の三ヵ月前、吉本隆明が語った、忘れがたき最愛の猫の死」。
吉本の語りを瀧晴巳さんというライターさんが構成し文にまとめたものだ。
軽くて平明だが、重くて深い本だった。「ぼんやり」、「合わせ鏡」、「うつし」、「持ち味」、「去り際」、‥といった幾つもの言葉が耳に残る。
「簡単に言えることなんて、そうありはしない。それでなんとなく何も言い出せないでいるうちに、僕はいつも「遅れて」しまう。」
「ただ、このごろよく思うのは、何か中間にあることを省いているんじゃないか。何が大事なものかそうじゃないか、それもよくわからんのだけれど、本当は中間に何かあるのに、原因と結果をすぐに結びつけるっていう今の考えかたは自分も含めて本当じゃないなって思います。」
「わかんないまんま、じっと抱えているほかはない。」
「ほんとうかね、どうなんだろうねえ。今だって、そう思うことはいくらでもありますよね。みんなはそう言ってるし、反対するほどの根拠もないんだけど、自分はどうももやもやするんだよなあとか、いかにもよさそうなことだから反対もしずらいんだけど、なんか胡散臭いとかね。そういうときは性急に答えを出そうとしないで、どっちともいえないなあって思ってりゃいい。」 【2013年3月 新潮社刊】
87歳にしてのこの言葉‥。
うつしは、写しでなく移しだろう。そして、私は渡しだ。