2ペンスの希望

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道徳、法、根拠、理性、意味

昨日に続いて、佐々木中「仝[dou]」から。
多くの人が、ある種の思考の罠に陥っているように私には思える。‥カオス、非道徳、無根拠、非因果性、無法、無意味、ナンセンスこそが素晴らしく、ラディカルで、しかも「面白い」という思考の罠、です。
どういうわけかある日から人は「意味がある」ことを「格好悪い」と思い出した、だから、意味がない、無意味な、ナンセンスな、――正確に言えば無意味な「だけ」の藝術が
よしとされるようになった。
「なぜ」などない。理由なんかない。原因なんかない。根拠なんかない。意味なんかない。そういう藝術や、小説や詩を書いたりすることが新しく面白く過激だ。そう言う人が、沢山いるわけです。世界中にいます。思想家にだっている。
本当にそうか。そんなものが本当に面白いか。そんな幼児的なものが、面白いのか。

確かに既成の道徳や意味、あるいは理由に従属して生きることは、思考の水準として初歩的と言いうる。しかし、単にそれに反抗する生が、そんなに高級なものか。 他に、別の仕方がありえないのか。
ただの自堕落な現状追認に都合のいい人生訓として消費しようとする人々は論外」     【2010年11月22日 早稲田大学生協ブックセンター書籍部主催「大学の夜」】
では、どうするのかについても佐々木中は語っている。けど、それは書かない。ご自分でどうぞ、ともったいぶるわけではない。まだ、生煮えで咀嚼しきれていないと思うから。