2ペンスの希望

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写っているのはすべて過去である

映画に写っているのは、すべて「過去」である。
これがTVとの違いだろう。テレビの本質は現在進行形・同時中継・生・ライブだ。
大昔「お前はただの現在にすぎない」というテレビ論があった。中身はすっかり忘れてしまったが、タイトルは今も鮮やかに憶えている。
そのでんでいくと、映画は「お前はただの過去にすぎない」ということになる。既に起こったこと・過ぎ去ったものがカメラに捉えられ収められる。記憶の集積、歴史の堆積。
ちょっと前に読んだ想田和弘さんの「カメラを持て、町へ出よう 「観察映画」論」にはこんな記述があった。
「(映画の)編集という作業は、自分が体験した「過去」を現時点から再解釈する作業である。それこそが映画の生命線」【集英社インターナショナル 2015年7月 刊】
こちらは、だいぶ前に読んだ佐藤真さんの言葉。
「時間の熟成作用」が映画を映画足らしめる」(うろ覚えで覚束ないが‥こんな趣旨)【「ドキュメンタリー映画の地平――世界を批判的に受けとめるために 上」 凱風社 2001年1月 刊】
スクリーンであれ、モニター・ディスプレイであれ、タブレットであれ、私達が出会っているのは、なべて今此処とはかけ離れ、消え去った過去であり、幻影であり、亡霊である。取り返しのつかない隔たりであり、かけがえの無い時間である。
その美しさ・いとおしさを旨とし、諒としたい。