2ペンスの希望

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京極と九楊

昨日の続き、鳥海修さんの本『文字を作る仕事』【晶文社 2016年7月 刊】から。

京極夏彦さんの自宅。担当編集者らと仕事部屋に導かれた鳥海が初対面でおずおず差し出した游明朝体Rの仮名の原字をしげしげ眺めた後。
「そういうことなんだね。私たち作家はこういう人たちに支えられているからこそ成り立っているということなんだ。文字を作る人がいて、編集する人がいて、また印刷してくれる人がいる。今ここにいる人たちが支えてくれるから本ができるんだ。それを忘れてはいけない」とあたかも自分に言い聞かせるように言った。
自らもグラフィックデザイナーの経験を持ち、組版ソフトを使ってすべて自分で組版を作る京極ゆえの発言だ、と鳥海は続ける。
書体を作ると一言で言っても一万字から二万字を作る必要がある。(追記:別の個所にはこうある ⇒ 「日本語の文字セットは、約二万三〇〇〇もの文字から成り立っている。内訳は、大雑把にいうと、漢字が約一万四〇〇〇字、平仮名・カタカナ関連が約一五〇〇字、アルファベット関連が約一四〇〇字、その他は、句読点や疑問符、カッコなどの約物を含む記号」それだけでも大変な労力を要するが、いい書体を作れるようになるまでは、伝統工芸品を作るがごとく、落語を上手く話せるようになるがごとく、地道な努力と時間と経験が必要なのだ。なおかつ、作った書体はそれほど売れるものではない。特に本文書体に至っては売れ始めるまでに一〇年かかるといわれる。一〇年で売れればいいほうで、日の目を見ずに消えていく書体も多いのだ。そのためには安定した雇用が不可欠となるのだが、世の中はそれほど甘くない。
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石川九楊と、これも初対面での対談当日の話。
「先生の書かれる本は尊敬できるんですけど、先生の書はくだらないと思うんです」(あ、言っちゃった)。雷が落ちる‥‥と首をすくめていると、なんと「そうなんだよ、鳥海
くん」
ときた。
「如何にくだらないことを一所懸命にやるか。そういうことが大事なんだよ。自分で作品を書いていいか悪いかなんて分からない。 というか、分かるものはすでに自分の中では終わっているものなんだよ。問題は分からない作品だ。書き上がった作品を見て、分からない。それを捨てるか採るかが問題で作家の技量だよ。だから、分からなかったものを残した結果、その何年後か何十年後かに評価される。そういうときに作家は『やったー』と思うんだよ」
こつこつと二万余字、何十年後に評価されるかどうかは怪しいもの‥人の目に触れるかどうかも定かでない。それでも腰の入った仕事はどの世界にもある。覚悟と責任。いずこも同じような事情を抱えているのも似てる。