2ペンスの希望

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記者 つれづれ 草

昨今 新聞の権威も地に落ちたもんだ、そう思ってたら なんのなんの 創世記からそうだったようだ。明治39(1906)年、日露戦後に出版されたインタビュー集『唾玉集』に「新聞探訪の述懐」が載っている。

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横着な机の上に座ッて居る世間知らずの記者が、横着な世間を渡ッて居る探訪者の種を詮議せずに書くから、自然と誤りを伝えがちになッて、段々新聞が面白くなくなッて来ると、善く書いても悪く書いても『ア又新聞だもの』と今日では痛痒を感じないほどです

明治の頃には、取材を担当するのは「探訪」と呼ばれる人々で、その報告を受けて記事に起こすのが「記者」だった。探訪=researcher,reporter 記者=writer という分業体制。今のテレビラジオの世界で云う放送作家がリサーチャーや構成作家に分かれるようなものだろうか。今もマスゴミと揶揄されるが、昔の記者も「新聞屋」「種とり」「羽織ゴロ」などの蔑称を頂戴していたらしい。もっとも「記者クラブ」制度という悪弊が百年以上も続いて改まる気配もない日本のジャーナルズムを見ていると、さもありなん、むべなるかなと思ってしまう。

 

今日はもう一冊。辺見庸吉本隆明の対談本『夜と女と毛沢東【1997年6月 文藝春秋 刊】から。

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辺見:「著しくジャーナリズムとメディアの視力が落ちている。作家もそうですね。弱視ですね。弱視状態ですよ
吉本:「(テレビは)顔のない宗教ですよ
辺見:「僕は新聞、出版社系の人間は端から信用しないことにしています。愉快犯とマッチポンプを給料もらってやっている連中ですから

「う~ん、給料もらって愉快犯&マッチポンプか‥よく言うよ。ご自身だって共同通信で永く記者を勤められて来たのに」最初に読んだときそう思ってしまった。もっとも、それに気づいたからこそ辺見センセは辞職してフリーの物書き(売文家)に転身されたのだろうけれど‥‥。

いずれにしろ、チョウチン記事を書こうと、コタツ記事でお茶を濁そうと、今に始まったことじゃないことは知っておいて悪くない。草生える。メディアやジャーナリズムを過大評価することはない。

謹んで慎むべし。いわんや「映画屋」をや。