2ペンスの希望

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ぼーっと見る tangible

TV桟敷で大相撲中継を見ていたら、審判委員を永く務めた峰崎親方(現役時代:三杉磯)が解説でこんな話をしていた。

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土俵を注視しすぎると、見えなくなることがあるんですよね。勝負審判を務める時にはぼーっと見るように心がけていました。その方が見誤らないで良く見えるんですよね。砂被りの審判席は近視眼的になりかねないんで要注意なんです。

成程な、映画も同じかも‥と感心した。

もちろん、スクリーンの隅々まで見逃さないよう、衣装や小道具、背景にまで目を凝らす見方を否定するわけじゃない。重箱の隅までおろそかにしないしつらえ・工夫を発見し楽しむことは間違いなく映画を楽しむ大事な要素だ。悪くない。けど、ディテールにこだわりすぎるのもいかがなものか。(こんな細かなところにまで気が付くワタシはえらい、細部まで見逃さないオレ様の眼力、エッヘンどんなもんだい、なんてのは、あまり感心できない。)

「木を見て森を見ず」ということもある。

凝視するんじゃなく、薄眼でぼんやり眺める「遠視」もオススメだ。(チコちゃんには叱られるかもしれないけど)

"tangible"という英語がある。日本語に訳すのはなかなか厄介なのだが、"visible"が "目で見る" "目に見える" なら、"tangible"は ”手でさわって分かる” ”触知する” といったニュアンスになろうか。

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”精神の目で見る”という意訳もあるようだ。”全身で体感する” ”気を受けとめる”

峰崎親方から、引いて眺めることで、よりはっきりしてくることがあると教えられた。

それにしても、映画の楽しみ方は無尽蔵だ。

目を皿のように凝らし画面に映っているものすべてを一瞬たりとも見逃すな、と煽られたり、ぼんやりながめろ、退屈で寝てしまうのもまた映画の楽しみだ、なんてそそのかされたり。

ふーっ、奥が深いことだ。だから面白い。