「この映画は純然たる記録であって、しかも単なる記録に止めてはならない。
昨今人々は現実に対して中毒症状を呈している。「事実は小説より奇なり」という言葉を、全く無邪気に受け入れ信じ、ほんとうでないと、或はほんとうらしくないと鼻もひつかけない精神状態である。
ほんとうにほんとうでないと面白くないという精神状態は、本当は異常なのだ。精神が衰弱している状態だ。
現在の我々に欠けているのものは、つくりものを尊ぶ気風である。我々一人々々の心の奥にデンとあぐらをかいている「尊いのはほんもので、つくつたものはまやかしだ」という信仰をこつぱみじんに砕かねばならない。
衰弱している我々の精神に豊富なエサをやろう。イマジネーションを育て、夢を現実に、嘘を真実に、ほんものをフィクションに創りかえよう。」
或る映画の脚本の「序」の言葉だが、お分かりになるだろうか?
1964年市川崑総監督による『東京オリンピック』の制作にあたって作られた脚本のトップに置かれた言葉だ。脚本に携わったのは、市川崑、和田夏十、
白坂依志夫、谷川俊太郎。どなたの執筆かはわからない。たぶん全員の総意だろう。ほんもの信仰は、既に深くあったようだ。実話・ほんとうにあったお話しは今でも人気だ。記録映画もふくめ、すべてがつくりものなのは、初級の初なのにサ。
以下は、映画のラスト近くのワンカット。
もひとつ、国立競技場の市川崑監督の宣材スナップショット。
さらに もひとつ。1964『東京オリンピック』制作時、市川崑総監督が
あるニュース映画社のキャメラマンに語ったエピソードが残っている。
「市川さんに劇映画とドキュメンタリーの違いをお訊ねしました。すると、こうおっしゃいました。『劇映画は役者を演出する。ドキュメンタリーは場を演出する』。劇映画はアクションを撮るものだけれど、ドキュメンタリーはリアクションを撮る。つまり、ドキュメンタリー映画では選手を動かすことはできません。ですから、選手が走る前の緊張感、走った後の安堵した表情を撮ることが大事になってくる。これが市川さん流の演出だと思いました」【毎日映画社 亀田佐(たすく)さんの談話 出典は 野地秩嘉 著『TOKYOオリンピック物語』2013.10.13 小学館文庫】
理に適ったことで、特段 目新しいことを言っているわけではない。才人でサービス精神に長けた監督さんだから嘘を言ってるわけじゃないけど、「もひとつ」ピリッとしない。切れに欠ける。(嫌ごと言いでゴメン)