2ペンスの希望

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過去に未来が透けて見える

仔細あって、大昔友人が書いた本『にほんのうた 戦後歌謡曲北中正和 1995.9.1.新潮文庫を引っ張りだして再読した。

「あとがき」の文章なんてすっかり忘れていたけれど、四半世紀ぶりに読み返したら、いたく胸に沁みた。断りなしに引用してみる。いささかならず長いけれど、しばしお付き合いを‥。

(独断で、一部 文章の前後を入れ替えてるが‥)著者の北中さんは、管理人の二年上の年長さん。

ぼく(註:北中さん)第二次世界大戦が終わった翌年の46年に生まれ、物心のついたころからずっと歌謡曲を聞いて育ってきました。70年代に音楽を紹介する仕事に関わって以降は、楽屋裏を見る機会も増えましたが、一ファンとして歌謡曲を聞く気持ちは子供のころとさして変わっていません。そんな体験や記憶をもとに、主に戦後の「にほんのうた」の流れをふりかえってみたのがこの本です。

いま東京のCD店では、日本のポピュラー音楽の棚は、J・ポップやジャパニーズ・ポップスと表示してあることが多いようです。それにくらべ、脇のほうにひっそりと存在しているのが歌謡曲の棚で、こちらには演歌や昔のアイドルのCDが置かれています。かつて日本のポピュラー音楽の大半を歌謡曲が占めていたことを思うと、まさに時代が変わったという感じです。

この文章が書かれてからも既に30年近くが過ぎた。音楽の世界もCDはもはや姿を消して サブスク配信に様変わりしつつある。これは、ご承知の通り。

映画の世界も同様だ。

いや、名前が変わっただけで、J・ポップと呼ばれている音楽が実はいまの歌謡曲なんだという意見もあるでしょう。広く親しまれている音楽を歌謡曲と呼ぶとすれば、まったくそのとおりです。しかし歌謡曲には作詞・作曲・編曲・演奏・歌の分業制度のもとにレコード会社主導でつくられた音楽という印象がつきまとっており、70年代に登場したニューミュージック以降の音楽を歌謡曲と呼ぶことに抵抗を感じる人も少なくないようです。その意味で歌謡曲という音楽は、半世紀にわたる役割を終えて、表舞台からゆっくりと退場しつつあるところかもしれません。もっとも、今後名前がどのように変わるにせよ、日本の社会から歌謡曲やJ・ポップに相当する「うた」がなくなることはけっしてないでしょう。

①歌謡曲とニューミュージック以降の音楽に本質的な差異はない。両者の共通項や差異は、歌詞やメロディだけでなく演奏からも見る必要がある。

②歌謡曲は固定した様式の音楽ではなく、民族、地域差、年齢層‥‥など日本の社会を構成するさまざまな要因や小集団の変化に対応して変わってきた。

謡曲やJ・ポップは一般に思われているほど単純な音楽でもなければ、熱心な研究者が評価するほど高尚な音楽でもありません。精緻な工芸品のような曲もあれば、乱暴でつじつまのあわない歌もあります。いずれにせよ原則的には娯楽を目的につくられていた商業音楽で、やまっ気や打算がつきものです。にもかかわらず、ときには打算を越えた魅力を持った曲も生まれてきます。そんな曲との出会いを楽しむためにぼくは音楽を聞き続け、その気持ちを分ち合いたくてこの本を書いたとも言えます。

「歌謡曲、ニューミュージック、J・ポップ、曲、歌、うた、‥ 」⇒ 「映画」に置き換えて、①②をはじめ太字強調した上記部分を読み直してもらいたい。

「にほんのうた」の歴史から「にほんの映画」の新しい姿が垣間見えてこないだろうか。

過去に未来が透けて見える。