『青山真治アンフィニッシュドワークス』【2023.3.30. 樋口泰人+松村正人=編 河出書房新社 刊】を読んだ。
正直 青山真治の映画はあまり感心したことがない。肌が合わなかった。ただ、蓮實学校卒業生の中では早めの売れっ子だったことは承知している。後進への影響大だ。没後 矢継ぎ早に何冊も本が出ている。幾つか手にとってみた。中でこの本、青山影響下の弟子や教え子監督の取材インタビュー記事が面白かったので、備忘録的に採録。
(解り難いのは ご容赦)
(シネフィル度 全開 青山先生理詰めの「演出論」授業を受けた)富田克也(空族)「映画というのはそこまで考えて見なきゃいけないものなのか、と学んでいったわけです」(太字強調は引用者)
そうなんだヨ。
映画ってそこまで(深く広く)考えて、見たり作ったりできる代物なのだ。その中で悪戦苦闘しながら、時には溺れ我を忘れて迷子になったり妥協したりしながら細道悪路を抜け拓いていく厄介物。
大九明子「日本の映画界のことを考えると、一年や二年、もっといえば十年でも、ガラッと変わるのは無理だと思うんです。問題はいっぱいあって、それこそいろんなおもしろいものを撮れる可能性がある人たちにちゃんとチャンスが目巡ってくるわけでもないし、だからチャンスを得たら、なんとかしがみついていかなきゃなと思っています。なかには商業映画界に見切りをつけちゃう方もいるじゃないですか。そういう先輩とかには「いや、一緒にがんばってくださいよ。あなたたちがそっちに行ってしまうことでまたこっちがやせほそるんです」と思うこともあります。
いまはテレビ局主導どころか動画配信サービスとか、世の中の求めるものが、すごい風圧で押し寄せてきます。そのなかで「映画です」といいきりながらエンターテイメントの世界にいつづけることはすごくしんどいですし、そこにいるより芸術として評価してくれる方がのびのびと好きな映画も撮れるし正しい評価も得られるかもしれないですけれど‥‥。」(太字強調は引用者)
悲鳴が聞こえてきて、泣かせる。
(重ねて書くが、解り難い点はひらにご容赦。腑に落ちる方だけどうぞ)