2ペンスの希望

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映画を「所有する」

VHSが登場し(Betamaxもあった)DVD、Blu-ray Discなどのパッケージを経て、今はネット配信・ダウンロードする時代に入った。
子どもの頃は、映画は映画館で見るものだった。仕事を始めた頃も映画を作ること=スクリーンで上映することだった。劇映画もドキュメンタリーもPR映画も‥。
やがて、TV局を中心にオープンリールのVTRが導入されはじめ瞬く間に普及、多くの映画が、自宅のモニターや、ノートパソコン、ポータブルプレイヤーで見られるものになった。スクリーンにかけることを目的にするのではなく、初めから音楽CDのように、DVDを作って売るセルオンリーの映画、そんな映画があってもいいじゃないか、という世代が育ってきた。
以前にも話題にした映画本・松江哲明さんの『映像作家サバイバル入門』(フィルムアート社 2011年11月刊)だ。1977年生まれだから今年(2012年)で35歳、映画のキャリアは十年以上。一読、腰の入った誠実な表現者たらんとする思いはビシビシ伝わってくる。彼は言う。「僕は数年前から、シンガーソングライターのようなスタンスで映画を作り、発表することが出来ないかと思っていた。小型ビデオをギターのように使いたい。ストリートミュージシャンがギター1本さえあれば世界中を回り歌うように、もっと軽やかに映画を作り、発表したい。
音楽の世界では、コンサートホールやオペラハウスから、ライブハウス、路上ライブまでが共存する。何万円もするプラチナチケットから投げ銭まである。フルオーケストラもあれば、少人数編成のコンポ・バンドもあり、アカペラ・ソロももちろんありだ。クラシックやオペラから、ジャズ、ロック、ポップス、‥民謡、童謡まで多彩だ。映画の世界にある劇場公開を頂点と考える硬直性とは無縁、クラシックがエラくて、民謡が低いという考えは無い。(と思う。多分‥いやちょっとはあるのかもしれない‥‥)
オーケストラにはプロもいればアマチュア楽団もある。裾野が広がり、自分で歌い仲間で楽しむカラオケもある。
松江さんはセルオンリーのDVD『DV』を自分で作って自分で売った。「DV」というタイトルには多様な意味が含まれるが、自分にとっては「ドメスティックバイオレンス」よりも「デジタルビデオ」という意味の方が強いそうだ。
(貶めて言うのでは決してないが、)いかにもビデオ世代、フットワークが軽い。
松江さんは言う。「映画は〈重い〉」と。さらに「参考にすべきは「映画」ではなく、音楽や漫画、Tシャツを作る人、飲食業、つまりDIYで作り、お金を稼ぎ、生活する人たちだ」とも。別のページには「映画とDVDの違いは所有することだと思う」とある。う〜ん。映画を「所有する」。確かに彼の言う通りだ。先輩づらして言えば、粗削りだが的を射ている。(但し、時代はさらに進んでパッケージメディアから、配信へと軸足を移しつつある。それにつれて「所有」の概念も変わりつつあるとも思うが、話が広がりすぎるので、ここでは書かない。いずれ書く。)
映画を「所有」する。シンガーソングライターのようなスタンスで映画を作り、発表する。出来るなら副業・兼業ではなく、専業として。「DIYで作り、お金を稼ぎ、生活する」と書く。「生活する」のではない。「生活する」。この「」の一文字は深くて重い。
キーワードがいくつもいくつも湧いてきて、同時に疑問符も浮かんでくる。
う〜〜ん、大長征になりそうな予感。

ブログを始めたキッカケ「日本の映画の〈液状化〉」と
「映画を所有する 或いは 所有する映画」をクロスさせながら、
どんな条件(必要条件 十分条件)が求められるのかを考えていきたい。
といっても、
遠くまで行くことを良しとするのではなく、松江さんに倣って、近所を徘徊・散歩するような調子で、出来るだけ〈ご近所大長征〉で行きたい。ゆっくり、じっくり、そう思ってる。