2ペンスの希望

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紅しょうが

USTREAMで「デジタルのミライ」というシンポジウムを観ていた。その中で、大手興行会社からの出席者が、「日本の年間映画興行収入1800億円は、紅しょうがの市場規模より小さい」という話をしていた。以前当ブログで、百貨店売上と比較したことがあるが、刺身のつま、お寿司の付け合せにも及ばないわけだ。やれDCPがどうの、VPFは弱者切捨てだ、ODSを開発せねば、といった横文字略語(何のこっちゃという人は自分で調べて下さいナ)の議論に終始しているうちに、映画の観客は去った。今に始まったことではない。観客をどう増やすのか、どう育てるのか、正念場・土壇場・土俵際‥どう捉えようといいが、ぼんやりしている時間は、もはやない
くだんの大手映画会社の社員は、「映画館は遊園地と同じ〈装置産業〉そこで掛かるものは別に映画でなくったって構わない。事実5年前から、人気劇団公演の中継ライブを始めている。人気ロックバンドのコンサート同時中継チケットは一枚5000円するが3秒で売り切れた。」と語っていた。スポーツのパブリックビューイングなどもある。デジタル化はその布石なのだ。もはや大手興行会社は、映画だけになんかこだわっていない。彼らに映画愛が足りない、けしからんと憤(いきどお)っても事態は絶対に好転しない。彼ら商売人にとってはお客が来てくれれば何だっていいのである。資本の論理からすれば当然のことだ。責められるべき第一は、ここ数十年のエイガ界の無為無策(或いは場当たり・間違った延命策)だ。まずは、業界の中の人がA級戦犯,次に、評論家、学者・研究者、メディア記者たちがB級戦犯だ。観客には何の責任もない。しかし、責任は無いが、出来ることはありそうだ
映画をメイン・ディッシュにその栄養分で育ってきた年代の日本の大人の皆さん、お父さんお母さん、あなたのことです。映画館に行く、映画を観る、子供たちや孫を映画に連れて行く、というのはどうだろう。月に一回、いや、数ヶ月に一回、‥‥それほど難しいことではなさそうに思うのだが‥どうだろうか。